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「カリフォルニア・タイム・スリップ」を読む(2)


カリフォルニア・タイム・スリップ:フィリップ・K・ディックの非現実の記憶

California Time-Slip: Philip K. Dick's Memories of Irreality

(初出:LA WEEKLY, 9-November 15, 1990)

スティーヴ・エリクソン(Steve Erickson)著


 フィリップ・K・ディックはまた、北米のフィクションが今世紀に生み出した真の幻視者のひとりであり、彼の最良の小説は、この国における過去三十年間のあらゆる書き手の最良の小説に匹敵するほど重要な作品群である。

 彼の作品は過去一五年にわたって、映画と演劇を、論文と他の作家たちによる分析を、批評的テキストを、〈フィリップ・K・ディック会報〉を、一年に一度授与されるフィリップ・K・ディック賞を、〈ニュー・パブリック〉と〈ローリング・ストーン〉の記事を、書店の壁や棚ひとつを埋めさせるイギリス、フランス、ドイツでの主要な好評を、そして嫉妬ぶかく熱狂的で献身的なカルトを生み出してきた。ディックの小説世界ではよくあるように、こうしたディック作品への認知は平行世界の文学史として存在しており、それは彼を黙殺した歴史の脇を流れている。

ディックの功績を称揚するエリクソン。

〈フィリップ・K・ディック会報〉は、1983年から1992年まで運営された、カリフォルニア州グレン・エレンが本拠の国際的なファンクラブ〈フィリップ・K・ディック協会〉の機関誌〈フィリップ・K・ディック協会会報〉(Philip K. Dick Society Newsletter)のことか。10年あまりのあいだに、30回にわたって発行された。機関誌を編集したのは、生前から親交があり、ディックの伝記作家であり死後の著作権管理人でもあったポール・ウィリアムズら。当時、編集や発送作業を手伝ったひとたちのなかには若き日のジョナサン・レセムもいた(レセムの小説が原作の映画「マザーレス・ブルックリン」が日本でも公開中だ)。

ポール・ウィリアムズは、世界初のロック評論雑誌と言われるCrawdaddy!を、学生だった若干17歳で創刊したことでも知られているが、その三年前の14歳のときにはSFファンジンWithinの発行人でもあった。

ディックの作品を黙殺してきたメジャーな文学史への批判も、このようにディック作品に顕著な世界観にしたがったレトリックでなされる。論自体もまた、ディックの世界像を踏まえて展開する。

 彼の幻視についてのうわさ話は、しかし、この境界を渡って滑る。これもまたディックの小説にありがちだが、ふたつの歴史が何らかの形で衝突するのはまぬがれないのである。そして、その結節点は一九九一年になるかもしれない。六本のディック関連の映画の企画が進行中だと言われている。五分冊の大部の短篇全集が、完全版の書簡集とともに刊行の準備が進んでいる。ニューヨーク大手の出版社から昨年出版されたすばらしい評伝――ローレンス・スーティンのDivine Invasions: A Life of Philip K. Dick(ハーモニー/クラウン)――から間をおかず、ヴィンテージ・プレスがディックの作品の大部分をこの国で再版する予定をたてている。

第二次世界大戦の複数のありえたシナリオが衝突するのは『高い城の男』。

このエッセイが書かれた翌年、日本でも「ユリイカ」(青土社)が「P・K・ディックの世界」という特集を組んでいる(1991年1月号)。

「短篇全集も出た。生前あれほど出したがっていた普通小説も殆どが出版された(生前に出たのもあるにはある)。ジュブナイルや映画の脚本だって今では手に入るし、インタヴュー集に研究書、大部の評伝ときて、まさにディックブームはとどまることを知らないかのようだ」(菊池誠「神秘の年のP・K・ディック 七四年の書簡から」、「ユリイカ1991年1月号所収、162ページ)。
(つづく)

翻訳・文=川野太郎