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AとB以外をつくればいいだけ――Aki Iwayaインタビュー(pt.1)


聞き手:川野太郎

都内某所のレジデンス/シェルターにて、2020年1月16日


はじめに


このホームページを作ったのを機に、じぶんの身の回りの気になる人に話を聞いてみよう、と思ったとき、いちばんに思い浮かんだのが学生時代の先輩であり友人、Akiさんだった(その理由のひとつは以下のインタビューのなかで明かしている)。

 

Akiさんは、〈VS? Collective〉という「(アート・?)コレクティブ」の発起人のひとりであり、いちメンバーだ。ぼくはコレクティブのメンバーの数人を見知っていて、その活動のいくつかを見聞きしていた。メンバーとしても関わりかけたけど、そのときはいろんなタイミングが合わなくて、プロジェクトが目に見えるようになるまで育てられなかった。そうこうするうちに、けっきょくコレクティブの全容は知らないまま、3年かそのくらいが過ぎていたが、そのあいだも、ずっと気になってはいた。

 

というわけで、このタイミングで、いろいろなことを聞いてみようと思った次第だ。〈VS? Collective〉の、具体的な活動は? そもそもここでいう「アート・コレクティブ」ってなんなのか?「芸術」と「社会運動」ってどう違うのか、あるいは違わないのか? 海外のコレクティブはどんな活動をしているのか? 自分たちが暮らす社会の仕組みが行き詰っていると切実に感じたとき、どうすればいいのか?

 

インタビューは、二部構成になっている。

 

第一部(このページ)では、〈VS? Collective〉のインスピレーションにもなったインドネシアのいくつかのコレクティブの話や、コレクティブができるきっかけの話を通じて、「アート・コレクティブ」の生態、あり方について聞いた。

 

第二部では、もうすこし具体的に、現在検討中のプロジェクト「ライフバトン」のアイデアを語ってもらった。メンタルヘルスや自殺の問題から社会環境にアプローチするこのプロジェクトはまだ準備段階で、ブレインストーミング中の思考をあえて語ってもらったことになる(本人から「もう少しクリアなイメージでのアウトプットを模索している感じです」というメールを昨日もらった)。でもここには、自分や身の回りの人のメンタルヘルスとどのように向き合ったらいいのか、という問いを避けられないものと感じているわたしたちにとって、大切なことが語られていると思う。

 

新型コロナウイルスの感染拡大で、以下のインタビュー内で言われていた予定のいくつかは中止、ないし延期になったと、Akiさんから連絡があった。たいへんな時期だ。でも古びたのはそうした情報だけで、以下のやり取りの核になる部分には、これから先(あるいはいま、ここで)、さまざまな既存の構造を再検討するときのヒントがあるとわたしは感じている。

 

音声ファイルを書き起こしている数週間、ここで話されていることや、その声じたいに、直接的ではない、励ましのトーンがあるとたしかに感じていた。迂回あり、脱線あり、逡巡あり、段取りの悪さーー〈VS? Collective〉という名前の意味が第二部でやっと明かされるーーありですが、楽しんでください。

 

そしていっしょになにか、やれれば。

 

Stay Safe,

2020年3月19日 川野太郎


中心がない集団=コレクティブのSNS


◆(川野)いまサイトって、動いてないですよね。

 

(Aki)あれは、ドメインの更新に失敗して。で、追加料金を払わないといけなくなったから。でもただたんにホームページがなくなっただけで、それぞれのSNS――ツイッターとか、インスタとか、フェイスブック――は残しているので。しかもその……コレクティブは、あんまり中心がない感じなので、それぞれ勝手にやってもいいんじゃないかと思って、適宜増えていってる、サイトが(笑)。インスタも三つぐらいあるし、ツイッターも、同じアカウントを複数のひとが更新してて。

 

◆じゃあ、同時多発でいろいろ起こっているんですね。武漢の写真なんかもありますよね。いま。

 

それって、ツイッター?

 

◆はい。メンバーはいろんなところにいる?

 

なるほど……まあ、篤くん(インタビュアー注:共通の知人。ドキュメンタリー映画作家で、最新作は「フォルナーリャの聖泉」。雑誌『感光』にもエッセイを寄稿している)は、ベルギーに行ってるし、わたしは東京とかインドネシアが多いけど、中国に行っているのもじつはふたりいて。SNSをやりたい人とやりたくない人がいるから、やりたいほうがやってる。で、日本でも、最近別府に移住して、そこでアーティスト・イン・レジデンスをやっている人がいて。その人は去年インドネシアに住んでいて、その前はEUで働いたりしていて、ネットワークをつくっていた。

 

来月、インドネシアとマレーシアのアーティストユニットがここに一週間ぐらい泊まるんだけど、その人たちはいま名古屋にいて、そのあとに別府にあるコレクティブに泊まって、つぎに東京にきて、それでインドネシアに帰る予定。で、わたしは、来年の四月と五月にインドネシアのジョグジャカルタでスペースをやることになっているんだけど、そのスペースをもともとやっていた人は、在外研修みたいなやつで、オランダのユトレヒトに一年間行くことになっていて。彼は基本的に植民関係と絵画表現との関わりを実作で表現しているペインターなんだけど、もうひとつの目的が、オランダのオルタナティブスペースをリサーチするっていうもの。で、その人が(インドネシアからオランダに)行っているあいだに、自分はインドネシアに行って……みたいな感じで、どんどん共有、交換、みたいなことをしてる。


コレクティブはどこにあらわれるのか


◆そういう活動を一望できるひとつのサイトをつくる必要は感じない?「VS? Collective」っていう、集団としての名前はあるわけですよね。いまのような「共有、交換」にコミットしていない人が見られるようなものは、ない?

 

例えば、二か月前(二〇一九年十一月)に別府の清島アパートっていうところでイベントがあって――彼らはずっと十年間同じ場所でアーティスト・イン・レジデンス的なアパートをやっているんだけど――そこに行って、彼らのやっていることを教えてもらうかわりに、自分たちがいろいろ蓄積してきたことを交換する、みたいなことをやってきて。で、それはなんていうか、ネットに出しにくい話もけっこうあるんだけど、いろんな。でもむしろ、そこが核だと思っている。

 

◆じゃあ、そういうイベントとか、じっさい会ったり話したりするときにあらわれる集合体みたいなものなんですね。

 

そうだね。自分のなかに元からあった要素でも、会話ではじめて引き出されることがすごく多くて。たとえば清島のときは……そこはいちおう「混浴温泉芸術」っていうアートフェスで有名なところ。温泉がよく知られているところで、十年前、別府出身の、海外の現代美術業界で出世した人が里帰りして、別府に恩返しがしたい、みたいな感じでできた。温泉は一〇〇円で入れて、もともといろんな人が、良くも悪くも過去をあまり問われないで滞在できる場所だったから、そことアートは相性がいいんじゃないかってことで、やっていたんだけど。

 

実際に行ってみたら、そこは現代美術で有名だけど、じつは一般の人たちがけっこういい感じに関係を持っているってことに気づかされた。そのなかには、マージャンとか夜のキャバレーとか、いろんなところに人を連れてったりしてつないでくれる人とか、あとは地域の、ある種つまはじきにされた人たちも、いっしょになって町を盛り上げたりしていて。そういう人たちと話をしてきた。でも、彼らは別にアートがどうとか、そういうのはそこまで興味はない。日本でそういうのは珍しいなと思って。


コレクティブのジャンル


◆いま作っている自分のホームページで、知り合いとか友達のインタビューも載せていきたいと思っています。それで、現時点では自分がいちばん関わってきた文学とかアートだけじゃなくて、福祉とか科学とか、そういういろんな分野を、つねに横断して訪ねていけるようにしておきたくて。最初にAkiさんに聞いておけば、このあとだれに聞いても違和感がないかなって思ったっていうことなんですけど。

 

 (笑)そういう方向にしたいっていうのは……。

 

◆うーん……いま、環境問題の本を翻訳していて、二月の半ばに、出ることになっているんだけど。それは、自分が翻訳をする入り口になったいわゆる芸術とか文学とはちょっとジャンルが違うと感じていて。狭い意味での「芸術」にたいする「社会運動」というか。でも、実際はどちらにも関心があって、自分の中でその関心は重なっていると思っています。逆にいうと、社会運動と芸術を、対立している概念のように捉えがちなんだなと気づいて。VS? Collectiveは、ひとまず「アート・コレクティブ」と呼んでも差し支えないと思うんだけど、その活動は同時に、社会運動といっても間違っていない、そういう領域にも触れてますよね。だから話を聴いてみたいと思いました。

 

そうか。一週間前ぐらいに名古屋の愛知県美術館で話をしてきたんだけど……インドネシアのアート業界っていうか、アートワールドについて話してくれって言われて。でも、それはじつは表面的なお題にすぎず。というのも、いまインドネシアのアート業界で注目されているものは、それこそアートという枠を完全に越えてしまっていて、良くも悪くも。もちろん、社会状況が日本とほぼ真逆だっていうことも関係あるけど……ようするに、小さい政府だから。政府がそんなに機能していないから、自分たちでなんでもやらなきゃいけないみたいなのが、すくなくとも一九九八年以降はずっとつづいている。それにアーティストといっても、美術作品だけつくっていても買ってくれる人はそんなにいないし、だから(社会の状況に働きかけることも含めて)「なんのためにつくるのか」みたいなことを自分たちで探すというか。で、けっこういま、むしろほかの、いわゆる先進国とかが、そういう状況にだんだん近づいてきているから……逆にいま注目を浴びてきていて。

 

で、今度の〈ドクメンタ〉っていう、現代美術のワールドカップみたいなやつの芸術監督もそこの〈ルアンルパ〉っていうコレクティブがやることになっている。なんで、その〈ルアンルパ〉の話とかをすこし、してきて。それがちょっと今日の話にも、関係があるかもしれない。

 

◆はい。「コレクティブ」と〈ルアンルパ〉について、もうすこし話してくれますか?

 

コレクティブの説明はすごくむつかしいけど、プロジェクト単位で立ち上がったりとかするグループで、恒常的に活動するのとはちょっとちがう。ひとりの人が複数のコレクティブにも所属できて、コレクティブに所属しているだけでは何も起こらないけど、自分たちでなにかやるときには仲間を見つけやすい、みたいな、そういうメリットがあって。多くの場合は、一緒に住んでいたりとか、もしくは、家族だったりもする。あとはほかの、全然ジャンルが違う人と一緒にやったりすることも、まあよくあると。

 

〈ルアンルパ〉はそのなかでも老舗というか、二〇年以上活動している、インドネシアを拠点にしたコレクティブです。で、(〈VS? Collective〉と〈ルアンルパ〉は)三年くらい前からいろいろ、お互いの国を紹介したりしていたんだけど、去年の四月と五月に、一週間から十日くらい向こうに泊まって、いろいろ話をする機会をもらって、気づいたことがたくさんあって。ひとことで言うと、〈ルアンルパ〉は、アートがどうとかじゃなくて、インドネシアの文化全体を代表している。たとえば中心メンバーが十人ちょっといたら、そのうち完全にアートの教育しか受けてこなかったみたいな人はふたりぐらいしかいなくて、残りの八人九人とかは、フェミニストだったり学者だったりアクティビストだったりして、しかもひとりの人が、肩書きを二つ以上持ってる。それも適当じゃなくて、どっちも一流っていうか、本気でやってる。で、そういう人たちがあつまると自然とジャンルを越えてしまう。


コレクティブは困りごとを囲むようにあらわれる


◆〈VS? Collective〉についてぼくがなんとなく把握しているのは、いまちょっと話してくれたような、インドネシアでのリサーチがひとつ。それから「Writing Without Teachers」(書くことの機能について、社会的なアプローチもふくめた自由な実践の形を探るプロジェクト。Peter Elbowによる同名の文章指南書をテキストにしている)。あとは、都市のなかでフリースペースをみつけて、それを活性化させるという活動――そういう印象があったんだけど、いま聞いていたら、それを列挙して「コレクティブはこういうことをやるものです」といっても伝わり辛いというか、表面的なのかなって。ようするに、なんか端から見ているだけじゃよくわからなくても、相談すると出現するものみたいな……。

 

ははは。たしかに。なんか、悩み事とかが中心にあって、それをどう解消するか、を考えたときに動き出すもの、みたいな。

 

◆うん。

 

家がなかったら、場所を作る方向に行くし、集まりを作りたいんだったら、まあ、集まりを作る方向にいく。

 

◆当事者として関わると、はじめてどういう活動体かわかるんですね。

 

たしかに……なんか、影響を受けている活動がいくつかあって、そのうちのひとつにインドネシアのジョグジャカルタ拠点の〈ライフパッチ〉っていうコレクティブがいて。彼らの――彼らだけじゃないけど――スローガンは「DIWO」(Do it with others=みんなでやろう)というもので。「ディーウォ」とかいってるんだけど……よく「DIY」(Do it yourself 自分たちでやろう)とかいうでしょう。そうじゃなくて、他人を巻き込んでやるっていうことがテーゼになっていて。するとまあ、自分のやりたいことだけはできないから、自然とねじ曲がっていくというか。状況に応じて形が変わるけど、それもふくめていいんじゃないの、みたいな。

 

◆人が……他人がかかわるとそうなりますよね。

 

そうだね。〈ライフパッチ〉は――〈ライフパッチ〉の話をし出したらきりがないけど――アートコレクティブとして有名だけど、アクティビスト集団としてもけっこう有名で、それこそ環境保護団体のリーダーとかもやっていたりする。で、じつは彼らが二か月間、四月と五月にここに滞在することが決まっていて。彼らは日本には何回も招待されて来ているけど、日本の……本当の悩みというか、問題がそんなにわかってないという思いがあって、それをわかりたい、って理由もあって、今回くる。でも彼らは、それを解決しようというよりは、それを自分で体験してみて、化学反応が起こればなにかやる、みたいな感じなんだよね。なので、そう……なんなんだろう(笑)。いずれにしても、彼らも自然発生的に発生したコレクティブです。


コレクティブがはじまるきっかけ


◆これ、はじめたのっていつでしたっけ。大学院を出てから?

 

大学院を出たあと、仕事で、東京のアート業界をリサーチする機会があって。そのときに、東京が――担当が美術・映像っていうめちゃくちゃ広いジャンルだったのも関係あるけど――すごく率直に言うと、つまんないなあと思って。みんな同じようなことばっかやってるなと。でも、そんななかでも、そこから外れる動きをしている人たちが何人かいて……たとえば都市の公園とか公道を勝手にパフォーマンスの場所に変える現代的な方法を実践する――アオキッド(Aokid)とか。太郎くんもきてくれたけど。

 

◆はい。参加しました、代々木公園のパフォーマンス。

 

あれは、日本のなかではすごいがんばってるなと思って。

 

自分はそもそも大学院に来る前は海外ふらふらしてたこともあったし、あとは幸運なことに、仕事で海外のアーティストのシンポジウムの翻訳をするとか、彼らをちょっと案内するみたいな機会もあった。そこから派生して友達みたいになってきた彼らと話をしていると、なんていうか、ぜんぜん違うビジョンでいろんなことをやっているのに気づいて。だったらもう、つまんないことをつまんないっていうのは簡単だけど、そうじゃなくて、実際に彼らに東京のアーティストの友達になってもらったりとか、一緒にイベントやったりとかしたら面白いんじゃないかと思って、やりはじめたら、こんなことになった。

 

◆うん。

 

自分もやることになった。他人じゃいられないみたいな感じの関わり方を彼らはしてくるので。「手伝ってくれよ」とか、「いっしょにやろうぜ」みたいな。「なんでやんないの、やるだろ」、みたいな(笑)。

 

(笑)じゃあその、国内のアートに触れていて、課題っていうか、オルタナティブなアイデアが見えたっていうのは、なにがあったからなのかな。つまり、「うーん、どうなんだろう」って思ったところ……。

 

あー。たぶん、現代美術だけじゃない、映画とかもそうだと思うけど、基本的にゴールが作品になっているように自分には感じられて。作品をアウトプットして、評価を得るのがゴール、みたいな。それは多分日本だけじゃなくて、欧米もわりとそういう傾向が強いと思うけど。でもそう……じつはそうじゃない方法、態度を持っている国とか、アーティストもたくさんいて……とくにあまり経済的に豊かじゃないとこに多いと思うんだけど、たとえば人をつなぎ止めるためとか、自分自身の存在をたしかめるためにやっている人たちもけっこういる。

 

インドネシアの例で言ったら、インドネシアって国はすごい人工的な、後からつくられたもので、多くの人はインドネシアに、確固たる愛着とかをもっていないんだよね。それは当然のことで、島は何百個もあるし、言葉も三個ぐらい普通にしゃべれるし、人種とかも全然違うし、あと国王もいちおう統治していたりとかして、もう、ばらばらなパーツを組み合わせて強引にインドネシアを作っているから、そこのなかに、自分、を感じられない。もっとたしかな単位としての友達とか、近所とか、自分の部族とか、あるいは地域に伝わっている伝承とか、そういうものにコミットしていて、いまはそれさえ散逸しがちというか、散逸する傾向にある。

 

で、(インドネシアのアーティストは)そういうものを自分たちで作っている、みたいな印象を受けて。そのための、作ったり紡いだりする道具のひとつがアート。人によってはそれが社会学だったり、社会改良運動だったりするんだけど。それにたいして、日本とかは、美術をやる人はだいたい美術大学を出ていて、しかも卒業した全員がアーティストになれるわけではなくて、美術業界に評価される作品を作った人だけが、作れると。なのでみんな基本的に同じ方向を向いていて、もっと言ったらその先に欧米のアートとか、映画とか美術とかがあって、それに……あわせにいくような作品が評価されるから。だったら欧米行きゃあいいじゃんとも思ってしまうし、映画も昔、一九七〇年代前後ぐらいまでは日本の映画ってかなり評価されていたけど、以降はなんだかんだ、三大映画祭とかに評価されたら、逆輸入で評価されるみたいになっていて、おれとしてはぜんぜん面白くないと思っていた。これは全部同じ構造なんだなと思って。なのでそこ、以外のものに、注目しようかなと思っています。



©Aki Iwaya, Taro Kawano