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猫のこと


黒田ゆな


 ゴーシュはキジトラのオス猫で、美瑛という町の納屋で生まれたと聞いて、美瑛にある喫茶店「ゴーシュ」から名前をもらった。子猫を保護していた人に、

「この子は図太いですよ」

 と言われた。

 初めて我が家に来たとき、キャリーバッグの扉が開いたとたんぴゅーと走り出して階段から転げ落ちていった。

 あっけにとられて階下を見下ろすと、ゴーシュは、ぽかんとしてこっちを見上げていた。

 手のひらに乗るほどの大きさだったが、みるみる大きくなって、毎日野原を走り回り、鳥など捕ってくるようになった。大人の猫が走っている姿を、私は久しぶりに見た。

 家の前は畑だった。となりは空き地だった。近所には物置と空き家があり、絶好の遊び場があった。

 朝方の薄明るくなってくる時の感じは、ゴーシュ抜きでは思い出せない。目が覚める直前、私は気配でゴーシュを感じていた。ゴーシュも私も目覚める前は、空気に互いの気配が溶け出し、まじりあっているようだった。まだ人間が眠っている時間、ゴーシュのヒゲと長いまゆげはひくひく動きはじめ、爪からしっぽの先までぞくぞくとした。目覚めると、ゴーシュは外に出たいが玄関の扉は「ずしり」と重たいので、人間を起こすためにそばに寄って「にゃー」と大声で鳴いた。人間の頬に肉球を当て、爪を食い込ませる。私は「にゃー」と一声目を聞くだけで跳ね起きるようになった。ゴーシュはたったっと玄関に向かい、扉を開けると外に向かって走り出す。1時間ほど経った頃、扉の向こうでまた「にゃー」と聞こえる。二度寝をした私には感じ取れない音量なのに、夫は目覚めて扉を開けに行く習慣がついた。こうした一連の日課が、朝を作った。

 ゴーシュはほとんど一日中、内と外を出入りした。人が不在のときは、外にいることが多かった。人間が帰宅すると、どこからか現れて、家に入ってきた。

 家の中と外は、ゴーシュにとって、外も内もない、同じひとつの概念なのだった。夜寝るところは家で、昼寝るところは草の中だった。空き地には、白っぽい葉が泉のように湧き出しているロシアンコンフリーや、2メートルぐらいになるオオアレチノギクなどが生え、その下にカタバミやホトケノザなど小さな花が咲いていた。こうした中にいるゴーシュはいつでも機嫌が良いようだった。

 

 

(と、私はここでこの話がどこへ行くのだろうと一抹の不安を覚える。猫のエピソードならいくらでも出てくるのだが。終わりが見えない)

 

 

 ゴーシュのしっぽは曲がっていて、長さは普通の猫の半分ぐらいで、太めのガマノホのようなしっぽだった。後で知ったのだが、ゴーシュという語には「線が歪んだ」という意味があるらしい。それを聞いたとき、この名前をつけたのは私たちではなく、猫につけさせられたのだと思った。

 私は、猫が近くにいれば、どんなときも守られているように感じた。正しいものに導かれているような。一緒にいると、空間の中で猫と私は馴染んでゆき、空気の中にもうひとつ耳を持ったようだった。

 枯れ草の上に寝れば、草がそこをどける音がして、やわらかな匂いを発する。太陽の光が集まってきて、毛をつやつやにし、草も体も発酵していく。風は涼しさを連れて来て、毛先のほこりや陽のにおいを連れて行く。ゴーシュは私に教え、私は玄関の扉を開けるために朝起きられるようになったりし、いつもなら誰かに教わって何かできるようになるようなときは小さな苦痛も胸をかすめていったけれど、ゴーシュが私に教えたことは、できるようになるのが極当然で、粒子の運動する秩序の一部になったような気がし、世界が少しエレガントになったように感じられ、調和があり、嬉しくなった。

 ゴーシュが行方不明になって数日、私たちはゴーシュを探した。夫がチラシを作り、聞き込みをした。近所には、この辺りの猫事情に精通している人々がいた。

 

 

 ゴーシュが帰って来ないままさらに数日経ち、朝早く、我が家に誰か訪ねてきた。私はまだ寝ていたが、夫が玄関に出て行って、少ししてから戻ってきた。

「ゴーシュのこと?」

「いや、よくわからなかった。ちょっと行ってくる」とまた出て行った。

 その日の晩、私はゴーシュが外で亡くなっていたことを聞いた。遺体は清掃局に保管されていた。あぁ、やっと帰ってきた。と深く安堵した。猫がいなくなった悲しさは、体中に沁みわたった。しかし、それは穏やかで凪のようだ。猫は生きていても死んでいても変わらない。もちろん、生きて体があるとき体から放出される温かさは、強くて好ましい。煩わしかったり、痛かったり、たくさん影響を私に与える生きている体の愛おしいことよ。

 

 

 何カ月か経ち、お盆になった。仕事から帰ってくると私は、アパートの裏の駐車場に車を停めて、短い急な坂を上って玄関へ回る。坂を上ると薄闇の向こうに赤い光が見えた。

 近くの家で、子どもがバーベキューの準備をしながらコンロに火を起こしていた。火が焚かれていた場所は、ゴーシュが亡くなった地点だった。ゴーシュは盆らしいことを一つもしない私の代わりに、送り火をさせたのだ。

 暑さが過ぎると風は少しずつ透き通っていった。家の周りに咲いているツユクサは、青いロウソクの火のようで、一層その透明度を増した。

 ツユクサは、ふしからぽきぽきと簡単に折ることができる。数本手折って持ち帰り、ゴーシュの遺骨に供えた。かつて、ツユクサの仲間のムラサキゴテンという花を水に挿しておいたことがあるが、すぐに透明な根を水中に伸ばしていた。それを期待して。

 ツユクサの水を毎日替えていると、根が伸び、花が枯れ、枯れた花の中に種ができた。ゴーシュが育てたような気がした。殻が崩れると種がはじけてしまうので、そっと殻を摘み取って、小さなビニール袋に入れた。

 旭川は秋が深まり、向かいの家の畑のトマトもいつの間にか実がなくなっていた(夏の早い時季、カラスが熟した順に採って行く。畑の主はカラスとの戦いである)。朝晩空気も冷たくなった。

 去年の春から買ってあったディルというハーブの種をようやく植える気になって、この季節からは難しいかもしれないと思いつつ、しまってあった植木鉢を取り出した。植木鉢は青と白のまだらの焼き物で、つるりとしている。両手にすっぽりと収まってしまう大きさで、種を蒔くには良さそうだった。

 やがて台風が来て、上空はお祭り騒ぎになっていた。時期はずれの暑さが盛り返して、旭川の土地を熱気がおおった。今年の台風は関東圏に被害を与えたと報道していた。さぞ不便であろう。

 その間、我が家の窓辺は温室のようになったのか、ディルは台風のおかげで芽を出した。細く小さな芽が所狭しと伸びた。1.5メートルはあるネムノキの横に密生した3センチほどの小さな彼らにも、ジャングルのような、野性的なオーラを感じた。

 ふと小棚の上に目をやれば、先日摘んできたミントの葉を乾燥させたのがビンいっぱいに詰めてある。ディルも、大きくなったら乾燥させよう、と思ったとき、ふいに、のびのびと植物が育っていくのを眺めているゴーシュの視線を、空気の中から感じた。