外出。明日も。
ほんの数日閉じこもっていただけでも摩耗するところはあるもので 、
ひとと話したら元気になる部分がたしかにあった。
昨日は雑誌のアカウントからTwitterを散策していた。
つねに緊張したフィールドだと思う。
そうでもないのか?
いずれにしても、見だすと見てしまう。
いっぽう、今日のように、
ひとの肉声や仕草が感覚の麻痺した部分をマッサージしている、
と感じられることがある。触れられすぎるとまた疲弊するので、
この案配には一生苦心するだろう。
とくに駅はマスクをしているひとが多い。
ちょっと耳を傾けると、どうなるんだろうね?
どうなるんでしょうね? と言いあっている。
日がちょっとずつ長くなっているのを実感する。
冬至からつねに長くなりつつあるはずなのだが、
それがとりわけつよく意識されるときというのがある。
たとえば、 夕方の同じ時間に見る人影の細部がぼんやり見えるようになってい る、先週、先月よりも、と気づいたりする。