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ものわすれ 2020/02/13


大掃除をしていて、眺めていたむかしの写真アルバムのなかに、
友達の家で食事をしているところを撮影した写真があった。
たぶん、16歳くらいのころの一枚。
卓を囲んで乾杯している4人が写っているのだが、そのうち2人について、
名前も知り合った経緯もまったく思い出せなかった。
しかし、その姿を見れば、たしかに一緒にご飯を食べているし、
たしかにいたなあという感じがしてくる。思い出す。

自分にとってのそういうひとは、もっといるのかもしれないけれど、
映像ではっきりと示されるとやっぱり驚く。
忘れているんだなと思った、いろんなひとを、いろんな時間を。


そのすぐあとの話。
一昨日、集まりを企画したという知人Aからのメールに、
「Bにも声をかけようとおもっているよ」と言い添えられていた。

まるでBさんというひとのことをわたしが知っているような言い方だった。
(伏せ字にしているBは全部がカタカナで、あだ名っぽい表記。)

そして昨日、おなじお茶会に誘われていたべつの知人から、
「Aくんが「たろうくんやBも誘いたい」と言っていましたよ」、
と、またも、わたしがBさんを知っているという前提があるようなメッセージがあった。

わたしは以前にBと会ったことがある、と、ふたりのひとがおもっている。
すくなくないひとを忘れているわたしだから、これは自分が忘れているんだな、とおもった。
あるいは、あだ名と姿が一致していないのかもしれない。

そのうちのひとりに事情を説明して、Bさんってどんな方?と尋ねた。
その返事でごくごく大まかに明かされたプロフィールを聞くに、
わたしはやっぱりBさんとはまだ会ったことがないと結論した。
でもBさんに「会いましたよ」と言われたらこの結論はくつがえるだろう。

来月Bさんと会う。