大掃除をしていて、眺めていたむかしの写真アルバムのなかに、
友達の家で食事をしているところを撮影した写真があった。
たぶん、16歳くらいのころの一枚。
卓を囲んで乾杯している4人が写っているのだが、そのうち2人に ついて、
名前も知り合った経緯もまったく思い出せなかった。
しかし、その姿を見れば、たしかに一緒にご飯を食べているし、
たしかにいたなあという感じがしてくる。思い出す。
自分にとってのそういうひとは、 もっといるのかもしれないけれど、
映像ではっきりと示されるとやっぱり驚く。
忘れているんだなと思った、いろんなひとを、いろんな時間を。
*
そのすぐあとの話。
一昨日、集まりを企画したという知人Aからのメールに、
「Bにも声をかけようとおもっているよ」と言い添えられていた。
まるでBさんというひとのことをわたしが知っているような言い方 だった。
(伏せ字にしているBは全部がカタカナで、あだ名っぽい表記。)
そして昨日、おなじお茶会に誘われていたべつの知人から、
「Aくんが「たろうくんやBも誘いたい」と言っていましたよ」、
と、またも、 わたしがBさんを知っているという前提があるようなメッセージが あった。
わたしは以前にBと会ったことがある、と、 ふたりのひとがおもっている。
すくなくないひとを忘れているわたしだから、 これは自分が忘れているんだな、とおもった。
あるいは、あだ名と姿が一致していないのかもしれない。
そのうちのひとりに事情を説明して、Bさんってどんな方? と尋ねた。
その返事でごくごく大まかに明かされたプロフィールを聞くに、
わたしはやっぱりBさんとはまだ会ったことがないと結論した。
でもBさんに「会いましたよ」 と言われたらこの結論はくつがえるだろう。
来月Bさんと会う。