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Murder Most Foul 2020/03/27


今日は緊張(テンション)に任せて活動しすぎたかもしれない。言葉が止まらなくてずっと文章を打って、書いてしていた。ちょっとまだ興奮状態にあるけど(23時前)、そろそろ休まないとたぶん反動がくる。深い落ち込みが。

今日、ボブ・ディランが新曲を発表した。夜、イヤホンで聴いて、ピアノの最初の一音で、言葉を失って、聴きながら何度も涙が出そうになった。なんて声だろうか。

ロバート・シェルトンによる伝記『ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディランの日々と音楽』の翻訳に関わったとき(思い出話をお許しいただきたい)、未熟さゆえに、周りを巻き込み、自分も近しい人たちもそれなりに無傷ではすまなかった…というふうに、わたしはその経験を覚えているのだけど、そのときいったい自分がなにをやっていたのか、いまもまだわかっていない。この16分越えの曲を聴いても、やっぱりわからない。 すべてのやってきたことについて、そうなように。でもそれは起こったことで、それはいま起こりつつあることにつながっていて、あらゆることは、ずっと流れてきて、流れていくんだと、痛切に感じた。

こう書いてみても、それでこの曲を感受したときのことを言い当てたとは言えない、でも、書き留めておきたい。全身の毛を逆立てて、いまやらなければ、とわたしを駆り立てていた力も、皮膚を突き抜けて心臓に達する音に撫でられたという感じがする。そいつはまだ眠くないと言っているけれど、呼吸はすでに変わっている。それがわかる。

この音楽が、今日一日かけてわたしがわたしに隠そうとしていた、悲しさや寂しさを明かしてみせてしまった。それでよかった。

なにもなすすべもなく、外出自粛要請の週末がくる。でも、わたしはいろんなことを、なんとかしてコントロールしようとしすぎたのかもしれない。離ればなれになったら、再会の約束をするだけなのだ、いつも。それを顔に出さないこともある。でも、それでよかったのだ。

Murder Most Foul