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24 JUNE 2019 山口亮志 X 蔡怜雄@高円寺GRAIN/『Oracle』(2018年)


川野太郎

2019/06/27


 紀元前2世紀から紀元2世紀頃までの古代ギリシャの楽曲が7曲収められたアルバム『Oracle』(山口亮志&蔡怜雄、2018年)を、主に自宅のプレーヤーとPCで、ずっと聴いている。
 友人が、高円寺のライブハウス「GRAIN」であったこのデュオのライブに誘ってくれて、そこで買った(2019年のこの日、6月24日は、ライブハウスの5周年記念日だったそう)。そこでの演目はVesmaさんというダンサーによるダンスも含む即興で(約40分+40分のセット)、CDとは構成が違うけれど、楽器の編成と、基調となる楽曲の一部は、CDの内容ともある程度重なっていた気がする。
 ステージには、リラ(古代ギリシャの竪琴)や、サントゥール、トンバク、ダフといった打楽器など、わたしにはまだ馴染みのない「古い」形をのこした楽器があるいっぽう、比較的見慣れた、アンプにつないだ12弦ギターやクラシックギター、また奏者の足元には、わたしには機能がはっきりとはわからないがやはり身近な存在ではある、エフェクターやルーパーのようなものがあった。
 聴いていると、古代の音楽のたんなる再現ではなく、今日までの20数世紀が、ひっくるめてそこにある感じがした。紀元前2世紀には、こんな音を感受する耳が、体があったんだ、としみいるように感じられる瞬間があると同時に、それから長い時間を隔てて音に耳を傾ける「いま」の身体と、楽器が、ここにある!と感じる瞬間もまた、あった。
 目の前で、打楽器に弦楽器に触れる手の動きを見ながら受け取った音は、いままで好きで聴いてきた音楽ーー20世紀後半から現代までの「アメリカン・プリミティブ」のギタリストたちが手がける音楽や、トニー・ガトリフの映画のサウンドトラックで聴くようなロマのひとたちの音楽、あるいは南米のタンゴやフォルクローレやボサノヴァ、J・S・バッハーーのどこにでも通じているような気がして、そうした音楽を聴いたときに「いいな」と思ったときに似た感じが、たしかにあった。
 といっても、すでに知っているなにかと似ていて、だからよさがわかった、というだけではない。これまで親しんできた音楽のいくつかが、まるで「やがて派生していくもの」として内包されているような古い音楽の豊かさに、いま触れているのかも、という、いままでに覚えのない感じがあった。
 アルバムを聴いていると、リラの演奏からクラシックギターの演奏に移行する瞬間が度々あって(1曲目「ミューズへの賛歌」の2分少し過ぎのところなど)、うまくいえないが、体の内側が「ゆらっ」と、ふくらみながら揺れる感じがして、なんともいえない。大切な一枚になった。

(2020/04/03に加筆・修正)


 ©Taro Kawano