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赤入れの力学 2020/04/02


3年前に全訳していたとある小説の企画が進み、いくつかの必要な条件もクリアしたという知らせがあった!昨日あたりから腰を据えて、原稿の手直しをはじめた。小一時間も作業するとコピー用紙が真っ赤に染まる。

いくつかの仕事は保留になり、よくもわるくも、ほかにやることは多くない。外出の予定はキャンセルになり、自律神経はやや乱れはじめていて、昼に眠く、深夜に興奮している。ネットにアクセスすると、家庭内の暴力や虐待が増えているというニュースがある。

この小説には、「閉所性発熱(cabin fever)の孤児」と呼ばれる少年が出てくる。cabin feverとは、『ランダムハウス英和大辞典』によれば「特に冬に遠隔地や閉所に長期間置かれたために生じる、不安や倦怠感を特徴とした異常な精神状態」のこと。

この少年は北国に住んでいて、ある冬のキャビン・フィーバーによって離ればなれになった夫婦の子どもなのだ。彼にまつわる描写を見るぼくの目はもう3年前とは違う。どこか、いまの時間を練り込むようにして手を入れている。

手直しのために言葉を読むときはいつも、未来に生き延びているはずの、まだ見ぬ読み手が傍らにいる。そういう目で読まなければ、改稿はできない。こんな状況だと、悲観に傾くことはあまりにも簡単だが、その一方で、未来に生き延びているひとがいる、という前提なしに、手は動かない。

言いかえると、赤入れしている状態のぼくの手は、未来のどこかの街で、キャビン・フィーバーを生き延びた人たちが行き来し、そのうちの何人かが書店に立ち寄り、未来の本を手に取って、買ったり買わなかったりして、帰路についている、という光景が現実であることを、毎秒、ねじれた形で証明している。

この翻訳の原著は、ぼくにとっては、これまで読んできたなかでもほんとうに最高の小説のひとつだが、ほかのひとにとってはどうかわからない。生き延びて、いつか確かめてくれたら。一日のうちのほんの数時間だけど、みなさんが生き延びた未来が見えていて、それに元気を貰っています。

最近はまたROTH BART BARONの最新作からバックタイトルまで、よく聴いている。今夜聴いているアルバム『ATOM』(2015)のオープニングナンバーは「Safe House」。タイトルは安全な家、だけど、「さあ外へ出て遊ぼう」という歌詞。