3年前に全訳していたとある小説の企画が進み、 いくつかの必要な条件もクリアしたという知らせがあった! 昨日あたりから腰を据えて、原稿の手直しをはじめた。 小一時間も作業するとコピー用紙が真っ赤に染まる。
いくつかの仕事は保留になり、よくもわるくも、 ほかにやることは多くない。外出の予定はキャンセルになり、 自律神経はやや乱れはじめていて、昼に眠く、 深夜に興奮している。ネットにアクセスすると、家庭内の暴力や虐 待が増えているというニュースがある。
この小説には、「閉所性発熱(cabin fever)の孤児」と呼ばれる少年が出てくる。cabin feverとは、『ランダムハウス英和大辞典』によれば「 特に冬に遠隔地や閉所に長期間置かれたために生じる、 不安や倦怠感を特徴とした異常な精神状態」のこと。
この少年は北国に住んでいて、ある冬のキャビン・ フィーバーによって離ればなれになった夫婦の子どもなのだ。 彼にまつわる描写を見るぼくの目はもう3年前とは違う。どこか、 いまの時間を練り込むようにして手を入れている。
手直しのために言葉を読むときはいつも、 未来に生き延びているはずの、まだ見ぬ読み手が傍らにいる。 そういう目で読まなければ、改稿はできない。こんな状況だと、 悲観に傾くことはあまりにも簡単だが、その一方で、 未来に生き延びているひとがいる、という前提なしに、 手は動かない。
言いかえると、赤入れしている状態のぼくの手は、 未来のどこかの街で、キャビン・フィーバーを生き延びた人たちが行き来し、 そのうちの何人かが書店に立ち寄り、未来の本を手に取って、 買ったり買わなかったりして、帰路についている、 という光景が現実であることを、毎秒、 ねじれた形で証明している。
この翻訳の原著は、ぼくにとっては、 これまで読んできたなかでもほんとうに最高の小説のひとつだが、 ほかのひとにとってはどうかわからない。生き延びて、 いつか確かめてくれたら。一日のうちのほんの数時間だけど、みな さんが生き延びた未来が見えていて、それに元気を貰っています。
最近はまたROTH BART BARONの最新作からバックタイトルまで、よく聴いている。 今夜聴いているアルバム『ATOM』(2015) のオープニングナンバーは「Safe
House」。タイトルは安全な家、だけど、「 さあ外へ出て遊ぼう」という歌詞。