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自分だけの庭


堀江里美


「ミミズの糞塚(ふんづか)」というものを、最近知った。しめっぽい季節になると、庭の芝生のあちこちに小さな土の山があらわれるのが不思議で調べたところ、それだとわかった。数ミリの泥団子が積みあがって塚をつくっていて、それがじつはミミズの排泄物なのだった。ゴルフ場などでは景観を壊すといって嫌われているらしいけれど、よく見ると、むかし流行ったつぶつぶアイスみたいでかわいい。なによりミミズの糞は栄養たっぷりで、理想的な肥料だ。

 ミミズはガーデニングの友だち、といまでこそ思う。でも初めのころは、出くわすたびに、ぎゃっと叫んでいた。花の苗を植えようとしているとき、菜園を耕しているとき、彼らは突然あらわれる。わたしの掘った穴の底でのたうちまわるそれを、スコップの先でおっかなびっくりすくいあげて、当分掘り返す予定のない地面や草むらにそっと置く。どうか地中深くもぐって、見えないところからわたしの庭をお守りください、と念じながら。

 わたしの庭。五年前、夫と二匹の猫とともにこの借家に引っ越してきたときから、庭はわたしの場所だった。庭いじりはわたしがリーダーで、夫は助手(とはいえ彼は植木屋のバイトをしていたことがあるから、とても優秀な助手だ)。この物件に決めたはわたしだ。築四十年近い木造の一軒家で、あちこち傷んでいるものの、二人が家で仕事をするのにじゅうぶんな広さがあり、猫の飼育が可能で、予算内。なにより目を引いたのは、敷地の半分を庭が占めていること。大家はかなりのガーデニング好きに違いないと思った。ふつうなら家をもう一棟建てるか駐車場にしてしまいそうなスペースを、庭として残したのだから。

 内見にきたときの庭は殺伐としていた。空き地でよく見る草がわさわさと生えている一方で、立ち木はことごとく枝を切り落とされ、切り株にされてしまったものまで。除草剤をまいたのか、土が剥き出しのところはブルーシートで覆われ、二つある池にはグレーの泥水が溜まっている。庭経験者である夫はおじけづいた。これは手強いぞ、と。けれどもわたしは団地育ちで、庭をもつことはずっと憧れだった。かえっていじりがいがある。ここに決めた。この庭を生き返らせようと誓った。

 そしていま、庭は生き生きとしている。朝方の雨で濡れた芝が太陽を浴びてきらめくなか、ミミズの糞塚を数える。今日は五つあった。網戸を開ける音を聞きつけてやってきた地域猫たちにエサをやり、見回りをする。切り株からみごとに復活したケヤキは、いまや庭の主役になりつつあるが、少し切り詰めないといけない。主役の陰で、丸い葉っぱがかわいいカツラがしょんぼりしている。サルスベリが、いまになって少しだけ花をつけている。梅雨前にうどん粉病にかかり、枝をだいぶ切り戻したので、今年は花をあきらめていたから嬉しい。一メートルを超えるローズマリーの陰にヒキガエルを一匹見つけた。小ぶりなので、この春に孵った子だろうか。

 菜園のほうへ行く。夏場に食べきれないほど採れたミニトマトもそろそろ終わりかと思いきや、熟れる前の実がまだいくつかあった。去年落ちた種から勝手に生えてきたエゴマや大葉は、涼しくなって急に元気をとりもどした。ハーブ系の葉が大好きなオンブバッタの勢いがようやく衰えてきたせいかもしれない。収穫しそこねたスイカとメロンが、いいぐあいに朽ちはじめている。これが養分となり、来年どこかから芽が出て、そこらへんの枝に蔓をからませて実をつけるのを想像する。

 基本はほったらかしの、ぐうたらガーデニングなので、ストレスは少ない。プロが見たら失望のため息をつきそうだけれど、これでいい。今日は庭いじりをする、と決めたものの、一歩も外に出ず、庭の写真集や園芸エッセイを読んで終わることもある。そんな日もふくめて、庭は生活の一部。嫌なことがあったとき、いらいらしているとき、黙々と草取りをしていると心がだんだんと静まって、いつのまにか深い呼吸に変わっている。わたしにとってその時間こそが、ヴァージニア・ウルフが言った「自分だけの部屋」ならぬ、「自分だけの庭」だ。

 そんなオアシスの平和がおびやかされたことがある。ここに住んで三年目の台風の時期に、庭に面したサンルームが雨漏りした。管理会社に連絡し、業者が修理にくることになった。すると当日、業者といっしょに見知らぬ老夫妻がやってきた。なんと、大家だという。突然の訪問にめんくらった。雨漏りの状態を散歩がてら見にきたというが、彼らは近所に住んでいるわけでもない。とまどいつつも、ひとまず丁重にあいさつし、サンルームを外から見るために庭へと案内した。緊張した。庭を愛する同志とはいえ、彼らはわたしのぐうたらガーデニングを見てなにを思うか。

 不安は的中した。いや、むしろ予想外のことが起こった。初めはなごやかに庭の話でもりあがっていたのだ。わたしはそれなりにがんばって手入れしていることをアピールし、大家の奥さん――うちと同じく、庭の主は夫ではなく、妻のほうだった――は、十五年ほど前までここに住んでいたころの庭の様子を懐かしそうに語ってくれた。すると記憶がよみがえるにつれて、彼女のなかで違和感が募っていったようだ。当時なかったものはみんな、彼女の目には「よけいなもの」として映ったのかもしれない。庭を歩き回りながら、メキシコをテーマにしたつもりの多肉植物コーナーを平気で踏みつけ、地味なブロック塀の飾りになっていたアイビーをベリベリと剝がす。さらに「ちょっとハサミ借りるわね」と言って、わたしが植えたサルスベリやネムノキを勝手に剪定しはじめた。夫のほうが、「よそ様の家なんだからやめなさい」とたしなめるのも聞かず。わたしは言葉を失った。止めることもできず、ただ見ているのもつらく、用事があるふりをして外に出かけた。

 夕方に帰ると、サンルームの補修は済み、大家夫妻はすでに去っていた。庭の状態を、おそるおそる確認した。まず目に飛び込んできたのは、枝をことごとく切り詰められた木々。内見にきたときとそっくりだ。わたしが植えた木だけじゃない。切り株から伸びた蘖(ひこばえ)が人の背丈を越えるまでになっていた柿の木などは、ふたたびただの切り株になって、呼吸ができないようにビニールをかぶせられている。この木に嫌な思い出でもあるのだろうか。視線を落とすと、日陰の主役であるクサソテツや、枯れ草色の細い葉がおしゃれなカレックスが、地際から数センチの高さに刈り込まれている。一方、いわゆる雑草に手をつけた様子はなく、伸び放題のまま。意味がわからなかった。管理会社を通じて「好きにいじってください」と聞いていたのはなんだったのか。文句があるなら貸すな、と叫びたかったが、揉めたくない。いさぎよくこの家を出ていく勇気も余裕もない。怖かった。彼女はいまだにここを自分の庭だと思っている。だけどそれは真実でもある。こちらはしょせん、借りている身。「自分だけの庭」なんて幻想にすぎない。そう考えると無力感に襲われ、数日間はなにも手につかなかった。

 それからしばらくして、ネット上でこんな言葉を見つけた。

 

 So plant your own gardens and decorate your own soul, instead of waiting for someone to bring you flowers.

(自分だけの庭に苗を植え、魂の手入れをしよう。誰かが花を運んできてくれるのを待つのではなく)

 

 ボルヘスの言葉だという。今年の夏、夫婦のちょうどいい距離というのがわからなくなり、ひと月ほど実家に身を寄せた。そのときも、いつも以上にほったらかしにされているであろう庭を恋しく思いつつ、この言葉を支えにがんばった。草取りをする芝生がなくても、剪定する木がなくても、自分だけの庭を育てる方法はあるんじゃないか。わたしの庭はあの家ではなく、どこか目に見えないところにあるんじゃないか。ひと月後に帰ったとき、ほったらかしの庭は、出ていく前とたいして変わらない姿で出迎えてくれた。地域猫たちが昼寝し、トンボやカエルが卵を産み、こぼれ落ちた種から勝手に芽が出る、誰の庭でもない、ただの庭として。

 大家の奥さんへの恨みがようやく消えたのは、突然の訪問から一年以上経って、管理会社から彼女の訃報を聞かされたときだ。十五年以上前にこの家から引っ越していった彼女に、本当の意味での「自分だけの庭」はあったのだろうか。

 

***

 

 このエッセイを書いている途中、ボルヘスの言葉についてあらためて調べた。すると引用ばかりで出典が見つからない。しかもじつはボルヘスではなく、シェイクスピアだという説もある。わたしのお気に入りは、ヴェロニカ・A・ショフストールなる女性が、一九七一年に大学の卒業文集に寄せた詩の一部である、という説だが、彼女の詩自体がボルヘスの詩の英訳である、と言う人もいる(その説はポルトガル語で書かれていた)。なにが真実なのかわからないところが、かえってボルヘスらしい。とにかく人気で、この文章をプリントしたTシャツまで売られている。自分だけの庭を必要としている仲間がたくさんいた。

二〇一九年十月