一昨日から頭にもやのかかったような状態で過ごしている。
というか、そういう状態がほんの一昨日前からだったのは日記を振り返らないとわからなかった。
ずっと前からそうだった気がしてしまうのだ。
昨日は『コレラの時代の愛』を読み終えた。
ひさしぶりに小説読んだ…という気持ちになった。
途中でとまっていた小川洋子『ミーナの行進』を再開する。
最近考えていたのは、社会「問題」として表出していることが、ある行動の理由を説明する、ということがらだ。
それがすべてではないはずだ、わたしがなにかに手を伸ばす、例えば本とか、電話とか、なんだっていいが、その瞬間を説明するのは、ハッシュタグに続けた数語でたりるものではない。しかしそうした言語が支配的だと感じる。
社会性のない、その手前であり底であるような場所にある言葉をこそ。