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「無限に中くらいのもの」より 2020/06/13


「芸術家が一人であろうとするのはまちがっている、彼が孤高の狷介さから汲みとる喜びは危険であり、かつ錯覚である。そうした喜びは、ついには非表現、つまり死に帰着することがある。芸術家は半神でもなく、預言者でもない。知的な人間ですら、必ずしもない。彼は心を動かされやすい人間である、それだけのことだ。彼は何一つ考案しない、何一つ創造しない。彼には天才なんかない。ただ、綜合を行うすべを知っているだけだ。彼は良き組織者なのだ。(…)ジャンルという概念はいまだに習慣によって存在しているけれども、芸術の真実は、今日、感受性にあって、テクニックにはない。芸術は、感動によらずしては、もはや可能ではない。求められているのは、世界の正確な報告であるよりは、現実という面の外にある面で相互理解を可能ならしめるような、情緒的喚起なのだ」(ル・クレジオ「無限に中ぐらいのもの」、豊崎光一訳、『物質的恍惚』所収、岩波文庫、2010年、p.263-264)

 

朝8時前。昨夜は少し飲んだ。長い夢を見て、その夢のなかで夕日を見ながら涙が止まらなかった。夕日は濃い橙色ではなくて、薄い桃色で、所々に灰色や緑やレモン色が混じっているような、淡い印象だった。丘の上で、知り合った親切な人たちが話す声が聴こえた。

 

雨。思いついたことを途切れなくやっていければいいなと思う。

 

ところで、昨日、知人から、訳した絵本の感想をもらって、小さい子がいる知り合いにもすすめますねというメッセージも添えられていた。うれしい。