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初詣 2021/01/01


23時30分くらいまでぼんやり翻訳。30分ほど片付けの続き。

0時になると友人が来て、一緒に近所のお稲荷さんに行って手を合わせる。

 

例年だとお酒やおしるこが振る舞われ、ドラム缶で焚き火が焚かれているのだが、コロナでそれもなし。

鳥居に紙垂が垂れていたけれど、これが毎年あったような気はしない。忘れてるだけか、今年だけだろうか?

 

ふだんは日が変わると鳥居の外にも列ができていて、

同じ敷地の公園で温かいものを飲みながら火に当たっている人で賑わっているのだが、

今年は我々の前に手を合わせていたのは女性がひとりだけで、

残る数人も、ほとんど神社の方々と思われた。

 

困ったときの神頼み、というけれど、これではあべこべである。

寒かった。家に退避し、おしるこをつくって食べた。

テレビをつけておしゃべりして、友人は帰っていった。

 

いま2時50分。そろそろ寝よう。

 

午後8時前。

 

エンジンは切らずしかし吹かしすぎず、今日は原稿読みと英文法と翻訳をちょっとずつだけやった。

頭が痛くて頭痛薬を飲んだ。年賀状が届いていた。

 

去年の最後に買った本を拾い読みしている。

保坂和志『プレーソング/草の上の朝食』の合本(講談社文庫)。

『プレーンソング』と『草の上の朝食』それぞれ分冊では持っていて、

合本の存在は知っていたが古書店で初めて見て買った、再読の機会も買うつもりで。

 

『プレーンソング』を読んだ20代はじめの当時も続編があって読めるなんてうれしいなと思ったけど、

それがくっついてるのは、続いてる、繋がっている感じがしてまたうれしい。

途中からでも読み出したところからずっと読んでしまう。

 

友達に電話をかけて長々話していて、思わず面白いと思ったところを朗読したりもした。

 

年齢がすべてではないが、この本の主人公は30歳前後で、その実感のようなものも書かれている。

学生のときは本を読んでいて、働きはじめるとぱったり読まなくなる、というのは聞くことだけれど、

20歳のときに『プレーンソング』を読んで、十年後に再読しなかった人のことを思う。

30歳になって読めてよかったと思う。こんな小説でもあったんだな、と。

 

午後11時半前。

 

この日記のアーカイブ作業(ローカルデータに手動で読み返しながらうつす)をやっていて、5月までが終わった。

 

それで思い出して、Big Thiefが4月の末にコペンハーゲンの「VEGA」というライブハウスのロビーでゲリラ的に「Replaced」を演奏する映像を何度も見ている。見るたびに胸が熱くなり、言葉にならない。「いま自分は適当なところで満足しようとしているな」と思ったときにこれを見れば、自分がまだ知らない、深くて広い言葉と音楽へのヴィジョンがあるのだと学べる、そういう演奏なのだ、自分にとっては。