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長いメール 2021/01/05


午前中は最近で一番長いメールを書いた。

 

本の内容を詳述したからそうなったわけだが、それでも、「検討用資料」として、原著データ、あらすじ、登場人物、書評、所感等々と分けて原稿を書くよりはるかにたやすい、というより伝えやすい。というかむしろ、これまで資料を作ってきたからメールでも感想を書きやすい、ということなのだろう。漫然と書かれた文章にも、あらすじを説明する部分と細部を説明する部分と自分のリアクションを説明する部分があって、混ざっている、ということがわかると、けっこう書きやすくなる…誰に講義しているのか?

 

7日に一都三県でまた緊急事態宣言が出る、と言われている。

 

去年の5日は、ここで日記を書き始めた最初の日だった。

昨日、4日までの日記を一年分として印刷し、ファイルにまとめたら、

ひとつの作品になったようなよろこびがあった。

でもその満足感、高揚感はいまはもうない。

そいういのは続いても半日がせいぜいなのだ。

今日からまたあたらしいのを作っていくのだと思う。

学生のときにお世話になった先生が詩に書いていたように、

いま生きている人はどんな人でも、時代の当事者であり目撃者でもある。

日記は自分がそうであることを白状するひとつの形ではないか。

 

夕方、友人と長電話。背中を押してもらうというのはこのことだと思う。

いま過ごしつつある経験を、自分が思っていたよりも深く受け取れる可能性に気づく。

この人と話すといつもそうだ。幸運を祈って(祈っている。)切ったら、午前中に出したメールに返事が来ていた。

 

昨日の夜に買い出しに行ったら、まだスーパーの棚はすかすかだった。

今日の夜9時ごろに行ったら、品揃えはほとんど変わらなかった。手紙を出した。

8時以降の外出を控えろと言われたら、こうやって夜道を歩く気分も違うだろう。