「緊急事態宣言」後day3。
遅く起きる。支度をして、東京へ仕事へ。こんな時期だが。
昨日は親族から小規模な結婚式の連絡がきた。
近しい人がお祝いに向かっていく感じが周りを元気にすることがあるとあらためて気づく。
当たり前のことではあるけれど、実感した。
知人のまだちいさい(2歳?くらいの)娘さんが、年末、「川野さんと遊んだ」と言い出した、という。
変だなと思って詳しく聞くと、「近所の公園で一緒に遊んで、りんごをむいてくれた」と。
そこで知人は、ああ夢の話か、と気づいた…という話を聞く。
私は彼女の夢のなかで自分が公園で一緒に遊んでりんごをむけたことがなんだか光栄で嬉しかった。
去年の最初に「川野さんにとって今年はいい年になります!」と編集者の知り合いにメールで言われたことを思い出したりもした。
つまり、去年は本当にいい年と言ってよかったんじゃないかと、今日聞いたこのエピソードで、はじめて思った。
それにくわえて思ったのは、そうか、「〜という夢を見た」と言う言い方は、もっと大きくなってからするものなのか、ということだった。
そうだとしたら、「川野さんが公園でりんごをむいた」ことは夢といえるのか。
というか、まあ夢だとしても、「夢でしかない」とは言い切れないのではないか。
出来事、なにかかが起こること、というのは、いまだにおもしろいしよくわからない。
別の知人からメールをもらって、滞っていたことを動かすやる気をもらった。
いままで止めていたことを、後悔はしないけれど、ほんのちょっと恥じた。