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南風・淡さ 2021/03/16


昨日は夕方に寝て21時に目覚め、夜中まで眠らず、明け方に目覚めると地震があった。嫌な夢を見た。

 

朝から、おそらく数年ぶりに、ひとりで映画館に行った。ジャン・ヴィゴの全作品(4作)と、ジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』。久しぶりの映画鑑賞は疲れた。自由席だったのが感染対策で指定席になっていて、席数はひとつ飛ばしで半分になっていた。『アタラント号』『新学期 操行ゼロ』は二度目。かつて『アタラント号』は映画館で、『新学期 操行ゼロ』は当時の近所の市立図書館のVHSで見た。4Kレストア版のクリアな画面で、そうでなくても忘れていた細部に気づいた。二本立てのふたつめのプログラムにあたる初見の3本(『競泳選手ジャン・タリス』『ニースについて』『カメラを持った男』)を観るときには眠くなってきて、かなり寝てしまった。といいつつ、寝て「しまった」というほど悪いと思ってはいない。映画館に近い古書店を2軒まわる。

 

古書ーー

・幸田文『猿のこしかけ』

・コレット『シェリ』工藤庸子訳

・ダニエル・ペナック『学校の悲しみ』水林章訳

 

暖かい風が吹く、薄手のコートで汗ばむ日。大通りからそれる路地を見ると、複数の生活のざわめきがすこし際立って聞こえ、自分とは違う生活を営む人々の存在が感じられた。南風の効果だと思っている。冷たい風は自分が自分でしかないこと、それ以外ないことを強く感じさせるけれど、南風が感じさせるのは、いまの自分をいまの自分にしているあらゆる属性が決まったとき、きっと必然的また運命的な理由があってそうなったのではなく、なんでもありえた、でもいまのようになった、単にそうに過ぎないんだろうーーということだ。いつか友人Cに、存在の(抜き差しならなさではなく)淡さという側面から、世界や人生を見てみたい、と言ったことがある、数年前の、この映画館のある街で、である。たとえばceroの「Orphans」みたいな、と(「別の世界では/ふたりは姉弟(きょうだい)だったのかもね」)。帰って窓を開け、長袖のシャツの袖をまくった。趣向を凝らした手紙が届いていた。友人と少し電話。