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新年 2021/03/21


そういえば昨日、神社で数年ぶりにおみくじを引いた。

 

正月の初詣で神さまに尋ねる、ということをする習慣がいつからかなくなっていたのはそうやって見るものを気にかけないからではなく、むしろそこにある言葉が心の片隅に居座ってしまうので、あまりいろいろ言われたくないという気持ちがあった。

 

でも、たまたま春分の日である昨日に友人に連れられて行った神社で、尋ねたい、と思っていた。春先は、自律神経が失調するのかなんなのか、昼夜を問わず「さまよっている」という感覚が抜けないからで、いろんな日々の支えの頼りなさがよく見える季節だから、そう思ったのかもしれない。心細いということはより虚心であるということかもしれない。

 

それに、最近知り合ったイランの友人が、今年は3月20日に新年を祝うよ、といっていて、イランの新年、ノールーズのお祝いということが頭にあった。だからたまたま春分の日に友人に連れられて行った神社で、年の初めのつもりでひいてみた。

 

大吉だった。とにかくすばらしいことばかり書いてあって(「心配ない/夢が実現/道は多い/楽しめる/予想以上/良いとき」)、いまの心身の調子からはかけ離れた吉報だったが、その問答無用の「良し」に、かえって大きな存在を感じた。

 

足元が頼りなくなってもういちど考え直すのは春先だから、自分も新年は1月1日ではなく春分の日を祝おうと思った、これからは。

 

今日は終日雨風。北九州の祖母から荷物届く。