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2018年秋、アーサー・ラッセルに書いた手紙


アーサー・ラッセルさま

 

 いまは夕方で、仕事が終わってカフェでこれを書いています。暗くなるのも早くなる秋の入り口に、心と体はバランスを崩しやすくなる気がします。その変調が、素通りできなくなっていく。

 秋でなくてもおなじことです。バイオリズムがうまくつかめない。このごろ以外にも、毎朝、あなたのレコードを流して一日をはじめていた時期がありました。目前に控えている十二時間がわけもなく怖くて、起き上がれない。そんなときに、あなたの声やチェロやギターがどんなふうに響くか、ごぞんじですか。それらは、わたしなりに言えば、時間も場所もまだたっぷり残されているのを思い出させるような音なのです。この声の主は焦ったことがないのではないか、あらゆるところに行きつくし、すべての時間を過ごしつくしたと感じて、途方に暮れたことがないのではないか、と、はじめはそう思いました。

 しかし、どんな時代と場所にあっても、会いたいひとに会えなくてじりじりする日や、音や言葉の響きが納得いかない日が一日もないなんてありえない。あなたの伝記を読むと、一九七〇年代前半から二十数年にわたって、ニューヨークのダウンタウンを拠点に音楽の可能性を探求していたあなたには、野心も恋の駆け引きも、たしかにあったことがわかります。そうやって、現代音楽、クラシック、フォーク、ロック、カントリー、ディスコ、等々、いざ名指すとなるとさまざまな音楽を横断した。

 でもそんな日々でも、アーサー、あなたは歌うとき、奥行きのたっぷりある部屋に入るみたいに、静かで長い時間のなかに入れたのではないですか? たとえ歌を吹き込む時間が三分間で、一時間後にひとと会う約束があったとしても、それは一時間しか確保できないうちの三分間ではなかった。「さあ」と、ときにはだれかと、チェロやギターを持ってマイクに向かうとき、それは一千年とか一億年のうちの三分間になったのでは?

 あなたは人里離れたところに暮らして仙人のようにいつも超然としていたわけではなく、にぎやかな、変化の激しいコミュニティーに身を投じ、そこで出会う人々との交流に傾注しながら、同時に、ひとつの世代よりはるかに長い時間を見出すわざを身につけていたようです。

 そのわざをもっと知りたいと思うことが、わたしにとってのひとつの活路でした。いまでもそうです。あなたの伝記を書いたティム・ローレンスは、あなたの歌が「薄闇に覆われつつあった景色に希望の兆しを掲げる小さな灯火だった」と書いていますね。ローレンスが薄闇、という言葉で暗に指したのは、「高騰する不動産価格」、「公共支出の削減」、「エイズの流行」といった形でダウンタウンにたえず寄せては返す、都市の苛酷さでした。でもあなたはその街にとどまった。

 あなたがこの世を後にして二十五年以上経ついまこのとき、わたしたちもまた、わたしたちなりの薄闇を感じ取っているのだと思います。そしてそれは多分、季節の推移のせいだけではないのです。どうしていいかわからない。音楽も答えてくれない。すくなくともわかっているのは、あなたの音楽を聴いているときの心身の動きが、あなたの助言のすべてだということです。

 

二〇一八年一〇月 川野太郎


©️Taro Kawano