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過 2021/05/30


晴れ、午後にわか雨。

 

日記を振り返ると、どうも一本の原稿を出した15日ごろからテンションが上がりはじめたようだった。

そこから2週間のあいだに、翻訳とバイト先への出勤退勤とは別にやったことは以下の通り。

 

・雑誌のポッドキャスト発案および1本目の収録と公開

・SoundCloudにフィールドレコーディングの音源を3本アップ

・ポッドキャスト用SEの制作

・歌詞の翻訳とその曲の弾き語りカバーを2本アップ

・新しいzineを友人と立ち上げ、ほぼはじめて触るInDesignでの組版に着手

・それとは別に小冊子を1冊制作

・手紙にまつわるエッセイの連作を発案・編集者への打診

 

そして今日の午後に、今回のブースターが燃え尽きた感じがした。

 

とくべつ過活動していなくても日常的にそのぐらいやる、という人もいると思うけれど、そういう問題ではなくて、自分としては、独特な高揚感と焦燥感とともにしかこれらのことはできなかったと感じている。分量はそこそこだとしても、この散漫さと、力が内から外へ向かっている感じがまさに、だ。またこのときは、継続するよりなにかをはじめることに価値を感じている。あと「変と思われるかも」みたいな自意識が薄め。

 

程度はそれほどすごくはなくても、自分にはやっぱり躁鬱というか、ふたつの極を揺れ動きやすい気質があるというのが、ここ2年ほど行動のパターンや方向性を見てきた結論だ。前は「どうせ落ちる」と思って、高揚しているあいだにすべてを済ませようとしたけれど、いまは、高揚しているときもつとめてリラックスするようにしている。ちゃんと寝たり。おかげで、落ち着いたいまも落ち込みすぎてはいない。カマしていると思われても仕方がないけど、ポッドキャストのインターフェースを見て「よくこんなこと始めたな…」と思ったりしている。

 

いろんなものごとのつながりが見えてあとは頭に合わせて身体を動かすだけ、という高揚のときは、あんがい人の話を聞きにくくなっている。いまは頭のなかの嵐が去ったので、のんびり人と話をしたい気持ちになっている。