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オハイオつながり 2021/08/16


雨。夜に止む。なかなか晴れ間がなくてぐったり。

 

いろいろなことが全体的に微妙にうまくいかない感じ。

防戦の気持ちでできることをちょっとずつやっていく。

なにはなくとも翻訳。最初の通しの翻訳があと24ページ。

 

葉書が二通。うれしい。どちらもいま大雨の九州北部から。

 

きのう友人から、最近発表した文章を読んだ感想があった。「(…)再起するために目を向けたのが未来でなく過去、というか未来が選択肢にすらないという前提が、すごく悲しくて辛いんだが、でも辛いだけでなくて、なんか信じてる感じがして、それがいい。暗闇の中でなんか祈ってる感じ。まじでワインズバーグ浮かんだけどな」

 

しみじみうれしい。

 

シャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ、オハイオ』はたしか学生のときに授業の課題ではじめて読んで、発表担当でなかったのをいいことに(自分が担当した本はケルアック『オン・ザ・ロード』だった)途中でやめたか、最後まで読んでいたとしてもぜんぜん覚えていない。再読のときだろうか。

 

オハイオ繋がりではないけれど、その文章を書いているときによく聴いていた曲のなかにSongs: Ohiaの「Farewell Transmission」があった。夜行する音楽。

 

Songs: Ohia "Farewell Transmission"

翻訳=川野太郎

 

ありとあらゆるところが暗闇になった

街のこちら側のすべての明かりが

とつぜん落ちたのだ

 

ぼくたちはみな太陽の

化石の炎の兄弟になるだろう

ぼくたちはみな月の

化石の血の姉妹になるだろう

 

だれかが彼らの準備をととのえるだろう

彼らは冷たい灰色の岩のなかで動き出すだろう

彼らはコンクリートの通りのなかで動き出すだろう

彼らは熱い製粉機の蒸気のなかで動き出すだろう

 

サイレンと静寂のなかをいま

あのすべての偉大な心臓たちが準備を終えて

いっせいに、脈打ちはじめる

 

過ぎ去ったこの夜を

過去の秘密にしたくないのなら

ぼくはそれをよみがえらせよう

真剣にやってみようじゃないか

 

彼の血をぼくの嘴から伝わせて

ぼくの羽を彼の灰でよごして

彼の亡霊がぼくの背中の下で呼吸するのを感じる

 

やってみよう、やったところでぼくは死ぬと知っていても

永遠に死んだままではないから

やってみよう、やったところでぼくは死ぬと知っていても

永遠に死んだままではないから

 

そのことについてほんとうに真実なのは

だれもそれを正しく分かっていないということ

そのことについてほんとうに真実なのは

ぼくたちはそれでもやってみるだろうということ

ぼくが突っ切ろうとしてきた砂漠の砂は尽きることがない

そのことについてほんとうに真実なのは

ぼくの送っているような人生はこのうえ

よくなりはしないということ

地図を持っていても、迷っても

 

やってみよう、やったところでぼくたちは死ぬと知っていても

永遠に死んだままではないから

さあ やってみよう、やったところでぼくたちは死ぬと知っていても

永遠に死んだままではないから

 

そのことについてほんとうに真実なのは

ぼくが突っ切ろうとしている砂漠の果てしなさ

ぼくはずっと知っていたのさ

 

真夜中がやってくる、死んだ月を嘴にくわえて

あれはいままさに落ちようとする巨大な星

真夜中がやってくる、死んだ月を嘴にくわえて

あれはいままさに落ちようとする巨大な星

 

長くて暗い憂鬱 鬼火

長くて暗い憂鬱 巨大な星が落ちていく

空電と隔たりを通って 別離の伝送が

長くて暗い憂鬱 聴け