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夢について 2021/08/21


朝。昨夜は書けなかった。

 

最近、ストーリー性の強い悪夢というか、奇妙に苦々しかったり恐ろしかったりする感じの夢をたくさん見る。共通点は、集団のなかにいること、その場の空気の流れにたいしてどうしようもないと感じること、決まってアルコールや煙草、奇妙な薬物(ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』にでてくるウサギと銃が合体した武器のような、よくわからないがそこでは成立していると感じられるもの)が出てくること。

 

こんなふうに書くとすわなんらかの中毒か、と思われたりするかもしれないが、毎日のんでいる嗜好品なんてない。どちらかというと、同調圧力と深い関わりを感じているものとして出てきているような気がする。まあだが、夢ではあらゆることが起こるし、解釈されなくてもそこにあるというのがわたしのいまの姿勢というか考えだ。

 

それで思い出したのだが、マイケル・キャスパーがJMについて書いたエッセイ「I Was There」で、筆者が、 JMの伝記的要素でかつ本人が公に語らなかったことについて、JMが書いた夢日記に記録された出来事を論拠に問いただす、という記述が出てくる。そのエッセイに重要な情報がいくつか含まれていたのは否定できないけれど、夢の記録を根拠に、相手の自伝に直接疑念を向けるというような手つきの荒さは明らかで、文章全体にそれはあらわれていると思う。

 

違うアプローチがあったはずだ。

 

京都の書店、恵文社一乗寺店のなかの方によるショップコメントに、『アルテリ十二号』の「夜行」について「友人との十年前の時間とジョナス・メカスの「書くこと」から夢と記憶と現在を描きだす」と書かれているのがうれしい。

 

昨日、顔見知りだった方がコロナに罹患し、2週間の自宅療養の末に入院されたと知る。そのことはどんな数字よりも強く、視界を変えてしまう。回復をお祈りしている。