薄曇り。朝の更新。
昨日、話の流れで知り合いに「四柱推命」を見てもらう。
占いは、自分から見てくれと頼みに行ったことがないので滅多に聞かないが、聞いているその最中は「へえ〜」とか思って楽しんでいて、でもあまり重荷になって残るようなことはない。
「何歳のときは何何じゃなかった?」と訊かれたほとんどすべてに「考えようによってはそうだな」と思った。
性格について「こういうところがある」と言われたほとんどすべてに「とらえようによってはそうだな」と思った。
星の巡りにわりあい素直に生きている平凡な人間なのである。
未来の見通しについては、なにかのものさしで予定(運命)を知っても、どうせその都度やってみたりいちいち考えたりする気がする。PUNPEEの「たとえば未来がすでにあるとして だけどぼくはあがき進んで行くのだろう」ではないけど(「Oldies」)。
すべてがすでに天に書かれているなら、無理を押し通せなかったことにがっかりしつづけても仕方ないーーと思うとき、ディドロの『運命論者ジャックとその主人』のとぼけたジャックを思い出す。というより、ジャックを知ったからよりそう思うようになったのかもしれない。