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さびしさという徴 2021/11/13


晴れ。インコに餌と水。稽古。知人が稽古場にポメラニアンの子を連れてきていて少し遊ぶ。

帰ってインコと遊ぶ。睡魔、仮眠して起きたら頭痛。頭痛薬飲む。原稿読み。

 

きのう編集者である友人と昼ごはんを食べていて「紙が値上がりするそうだ」という話をしていたのだが、そのときと、いま夕方の部屋でひとりで「紙が値上がりするのか…」と考えているときとでは、気分が微妙にしかしはっきりちがう。

 

ひとりで思うことは無限に落っこちていくことだと感じる。逆に、たがいに声が届くところでなにかを思うという状態は、それだけで可能性だ。「建設的な議論ができるかどうか」とかはじつはそのあとの話で、どうでもいいわけではないけれど、わたしたちの(しかし「わたしたち」とは?)現状にたいして非現実的なほど高いハードルだといまは感じている。ただおしゃべりができる場所があるということがたいせつだ。さびしさは恐怖の数歩手前にいるというしるしで、それを感じたらひとはだれかに連絡をする。のかもしれない。

 

高円寺での展示「本をひらくと」のDMが来ていた。