昨日は曇り、友人と長電話、のちスペイン語勉強会、のち出勤。
スペイン語のあたらしい教材の文章がとてもきれいだ。
同じ構文を繰り返しながら単語だけを入れ替えることで言葉を進めていく、
節制とリズムの際立つ一ページ目で、声に出したい気持ちにもなる。
今日は晴れ。換気をしてシャワーを浴びて目を覚ます。朝食と昼食は兼用。
翻訳はかなりヘヴィな抽象時空間描写に突入し、進みは遅いが進める。
アウラ的体験のさなかに、外から暴力が介入する世界の描写。
昨日読んだスペイン語の文章を何度か音読してみる。いい感じ。
英語も同じように声に出す勉強をいちから始めるべきだろうかと思う。
出勤。横切った公園の光が美しい。道路沿いのつつじの季節。編集とデザインと執筆。
オフィスにある「吉凶は人にありて日にあらず」というカレンダーの標語が目に付く。うーん。
少しずつ『黄金虫変奏曲』を読んでいる。
いまだ明かされざることがたえず仄めかされている。しかしそれが苛立たしくない、もどかしくない。
むしろ、文という、前後があって一本道でしか基本的にはありえない仕組みと、
そのような在り方ではない「考え」とか「風景」とか「思い出」とか「印象」とかのことを思う。
自分がそのようではないものたちを自分によって記述しよるとするとはどういうことなんだろう?
パワーズの小説に出てくる人物たちは変わり者で冗談も好きな人が多い。好きな人たちだ。