終日雨。
天気や時間(夜)による一時的な倦怠感のなかで思わず想像してしまうのは、恒常的な倦怠のことである。
朝日がのぼっても、雲が晴れても、とれない倦怠、あるものへの、あるひとへの、持続する倦怠感、
それやそのひとから離れる以外に払拭する方法はないのではないか…と思えるような、
相手にとって自分がひとつの失敗談にしかすぎなくなり、
自分にとっての相手もまたそうなってしまうような。
しかし、いまその倦怠を感じているのではなくて、
先にありえる(し、ないかもしれない)倦怠を想像しているわけで、
そんな想像をするくらいなら、いま好きな本でも読んでいたほうがはるかにいい。
それもする気が起きないくらい調子が悪いなら寝たほうがいい。
翻訳はとてもゆっくりとしか進まなかった。倦怠感は強い。低気圧のせい。
しかし『黄金虫変奏曲』を読む歓びまではやられず、自分の周りに小説を読む人はほとんどいない。
そして雨といえば、「約束のある日が雨だなあ」とひとりで思うよりは、
「雨だよね」とその約束の相手と話すほうがはるかにいい。
ひとりで想像する雨は憂鬱に通じているけど、話し合いに出る雨は工夫を引き出す。