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渡辺京二さん 2022/12/25


渡辺京二さんが亡くなった。

 

ぼくには生まれ育った熊本の共同体の〈まとも〉から〈落伍した〉と感じていた思春期があったが、あとでそこを離れてから距離をとって眺める機会にめぐまれると、自分がじっさいにアウトサイダーだったかどうかを気にする自意識なんてどうでもいいか、少なくとも二の次で、もっと大事なものがあるーー目の前の風景とか動物とか人とか人がつくったものとかーーということをだんだんわかってくるような気がして、その感覚とともに再発見しはじめた熊本には、渡辺京二さんがいた。

 

いつか石牟礼道子のシンポジウムがあったとき、会場になった新市街の映画館「Denkikan」の座席に座って開始を待っていたら、あとから左隣のひとつ飛ばしの席に座ったひとが渡辺さんで(そうだとあとからわかった)、あのときをのぞけば、あとはいわば紙上での出会いだった。渡辺さんが呼びかけ、橙書店の田尻久子さんをはじめとする編集部の方々がつづけてきた雑誌「アルテリ」に何度か寄稿させてもらった、それはぼくにとってはおおきいことで、あまりにもいろんな側面があるが、一面では、生まれ育った土地に自分なりの場所を作る勉強で実践だった。

 

ニッチをみつけること、よく読んで書くこと(へこまされても)…文章を通じていろんな励ましをくれたひとであり、また風土はあるんだ、ということも氏の本から教わった気がする。生まれ育った土地はいま急にそこに出てきたのではなくて、その土地にはその土地の風土があって、その上にぼくが生まれた。それをなんとかするとしてもしないとしても、できるとしてもできないとしても、とにかくそこからいろいろはじまっていくんだということを教わった(『熊本県人』での肥後人を素描した短い文はいつ読んでも身に染みて、だから笑ってしまう)。自分たちで雑誌をつくるときも、雑誌はアンサンブル、という渡辺さんのインタビューの言葉が胸にあった。

 

自分にとっての故郷が過去しかない抜け殻ではなくていまでも用事があって訪ねていけるのは、祖母の家があるからだけではなくて、渡辺さんが声をかけあってあつまった人たちがいまもいるからだと思う。

ところで、渡辺さんが書いた「樹々の約束」(『万象の訪れ:わが思索』所収、弦書房、2013年)というエッセイには、ぼくが学校にいかなくなってから足繁く通うようになった場所についての記述がある。

 

 だが、ほんとうは夏椿。その風情といったら、桜なんぞ目じゃない。別名は沙羅。「沙羅のみず枝に花さけば/かなしき人の目ぞ見ゆる」と龍之介が唄ったあの花である。熊本市には立田山という標高一〇〇メートルちょっとの丘陵があるが、そこに一箇所夏椿の群落がある。場所は内緒。

 桜の悪口をいったが、私が感心しないのは染井吉野で、ひかん桜なら大好きだ。これは私の知るかぎりでは、立田山に一本だけある。場所はおなじく内緒。

 

こうして読みながら立田山のことを考えると立田山が目の前に広がる感じがする。