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鳥瞰 2020/05/12


5時起床。2時間NL翻訳。いま。

 

昨日はちょっとうれしいメールがあった。

勝手に翻訳したエッセイを友人に送ったその返事で、その人が過ごしたちょっといい空気が伝わってくる気がした。

 

それはそれとして、前日に日記を書いたときから今までを振り返ろうとする行為自体に、自分を落ち込ませるものがある。

24時間という時間で縛ることになにか抑圧的なものがはたらいているというか。

せいぜいいま思っていること、過去24時間に限らずふと思い出したことなんかをただ書き留めるのがいいのだろう。

 

今日はゴミ出しの日。プラスチックが本当に多い。

 

日本人は、現代人は、男は、女は、といった主語で書かれた言葉を見るとどうして脅かされるような気持ちになるのか考えていた。

そのすべてが「文脈にかかわらずつねに有益な視点ではない」とは言い切れず、またそれを発する意図に悪意がないのをわかっても、である。

 

たぶん、それを発するとき、ひとは、特定の民族、時代、性差、を俯瞰するくらい高い位置に立つことになるのだが、それを聞くわたしは、それに見下ろされるように受け取って身の危険を感じている。糾弾する意図でも褒める意図でも関係がなくて、その視点から重力のように圧がかかってくるのを察知する心身の状態がある。

 

ぜんぜん気にならない(聞き流せて、聞き流している自分を後ろめたく思わない)ときもあるから、いつどこにいても不変の見解というわけではない。

 

でも気になるときは、共同体でいま流通している言葉から離れるのがいい。

繊細で、徹底して個別的な言葉に傾注し、鳥瞰せず地図は持たず、役立つことを言い、返答をもとめる必要がないことを知って、ゆっくり過ごす。ときどきは人の声を聴きながら。