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電話 2020/10/30


集中できず。朝から風呂に入る。

 

夕方、外から帰ってコーヒーを淹れて、友人と電話。

近況が面白かった。本の、あとがきの感想をもらう。

「そんなことまでわかるの!?」と思って震えた。

今日かけてもらった言葉を思い出せば動揺しすぎず進めるのではないかと思えた。

 

「日常おたく」(たとえば、しばしば、身の回りにあるものに、これいいじゃん、と言う)と言われた。それは、数年前に別の人に、「文学の担い手にはならないかもしれないが文化の担い手にはなれる」(希望的好意的観測のニュアンスを抜いて意訳すれば、「文学一筋で極めるというタイプではなく、散漫でありつつももっといろいろやる感じ」である、ということ)と言われたときの感じと似ていた。迷ったときも、彼らが見た自分のイメージをランタンの灯にして歩けば、大幅に間違うことはないのではないか、というような。できないくせに一つの道を突き進む求道者であろうとしてしたいことを制限したり、あからさまに劇的な出来事がないわりに満ち足りていることを不安に思いすぎたりしないことが大事なのではないか、と。

 

なんだかややこしい文になってしまった。