初稿戻す。いま昼過ぎ。
べつの文章。いろいろ考えて全部ボツにして、締め切りは明日。
いったいなにを書こうとしているのだろう。
自分が影響を受けたと感じる作家と作品、そのこれまでのかかわり、だろうか。
それだけではない気がする。その作品にものの見方を教わったように感じている。
それらと関わっていた時間に出会った人や風景が自分に見せた姿や仕草…を思い出すとき、
その作品が見せてくれたものの見方で思い出しているのでは、と思うことがある。
そうした日々の細部が、とても気になっている。
これまで見聞きしたものの印象を、どうして書いておきたい気がしているのか?
それが、それを読む人にとってなんだというのか、自分にとってなんだというのか。
教訓めいた落ちを書かなければという思いは、いちど意識にのぼらせて、
あらためて従うかどうかを決める…というふうにしか、対処できない。少なくともいまは。
意義深くない細部や行為、仕草…それに興奮すること、高揚すること。
一方では、言葉にできないような傷がある。それは語られなくてもそこにある。
それはたとえば、隠されていた暴力の発見…をこそ、主題にするようにもとめる。
こうしたことがらは、たしかに見逃してはいけないことである。
というのも、沈黙せざるをえない声を無視して発された声は虚しい(と、わたしは考える)からだ。
でも、でも…
りんごと小さいクロワッサンがあるから食べて、散歩にでかける。