今日は寂しさの濃度が濃いめだった。
そのためか、弱音を吐く場所を間違えて吐いてしまったかもしれない。
が、仕方ない。
TVにかぎらずあらゆるメディアが年末の弛緩するような躁のような空気を伝え、また作っている。
これが苦手で、見えない波に押し流されるような気がしてしまう。つとめて見ないようにしている。
レッドグローブの味がぼちぼちだったので、砂糖で煮詰めた。
煮詰めるというのはじっくりぼーっとできる感じで、
たとえば寂しいときは、いくらか寂しさを煮詰めるような感じがある。
悲しさにまかせてお菓子をつくりまくっていた、という友人の話を思い出す。
あとは、『ノーザン・ライツ』の一節だ。甥の死を悼むサムがデコイに色を塗っているのを、主人公ノアが見つめるーー「ぼくは彼がカモに鮮やかな色をつけていくのを眺めた。まるで彼の悲嘆を塗り込められているようなそのカモは、いつか狩人の手で沼地に放たれるのだろう。」なんとも印象的なイメージではなかろうか。
それはともかく、
レッドグローブのジャムは、すごくきれいな紫色が出た。
思い出すのは、子供の頃にやった遊びだ。
オシロイバナの花弁と水をビニール袋に入れて、
手で揉んでいると、だんだん花弁の色が水に移る。
たしか、単純に「いろみず」と呼んでいた。
それが遊びだなんて、と驚く人もあるだろうか?
しかし、色が次第に濃さを増していく、その過程が面白かったのである。