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神様の気分も時々変わる 2021/02/19


昨日、日が変わる前に友人Aから電話。気づいたら2時間ほど話していた。

直近で彼女をみまったある出来事の話。1時過ぎ、通話を切ってからもしばらく心がざわついていた。

そのエピソードに刺激されて最後にした自分の話は、自分がだれとも共有できないと感じていて、

それが長年に渡ったのでーー好むと好まざるとにかかわらずーー信念にまでなりかかっている、

あるいはすでになっている世界の感じ方、に触れる話だった。

孤独の感覚が深まった、というより、そもそもあったその感覚の覆っていたおおいがはがれた気がした。

 

朝。出勤、退勤。今朝は職場に二匹の犬。

注文していた書見台が届いている。いい感じ。

 

午後、ある仕事の誘いを断らなければいけなかった。

時間や賃金の折り合いがつかなかったというのではなくて、ただその社会に怖れを感じる自分の心の条件のためだった。

自分の心ひとつのために関係を断つというのは心細いもので、自分の心が自分を追い込む、というふうにも感じてしまう。

しかしそうやって社会的には「追い込まれる」ときの心を守れるのは、結局は、自分しかいない、ということもある。

こういうときにやりがちな、動揺にまかせて自分の言葉で自分をめったうちにするということを、今回はしなかった。

 

かわりに、夕方、散歩をした。

 

動揺のまま思わず連絡してしまった友人はちょうどその人の住む近所の神社を参っていて、

返信には、「神様の気分も時々変わるようで、なんとなく感じます」とあった。

 

神様の気分も時々変わる。

 

本当にそうであること、神様もときには晴れ、

ときには荒れるのだと思うことには、

なにかこちらをほっとさせるものがあった。

春が時々さがりながらも、ゆっくり近づいてきている。

 

いまあるすべての批判と悪態が自分に向けられているように感じる夜。ネットを断つ。