晴れ。店番。帰って友人と電話。翻訳。
黄昏どきに帰っていると、葉や花や壁や道にさした光が綺麗だった。
ずっと前から友人が読んでいて「いい」と言っていたアラン『幸福論』を拾い読みする。
それから店の本棚の隣にあったキケロー『友情について』も。どちらも青い岩波文庫。
『友情について』に、おおっと思った箇所があった。
「秀れた人であればあるほど、死んだ時その魂は容易に、肉体といういわば獄(ひとや)の縛めから飛び去るものであるのなら、神々の許に至る道がスキーピオーほど容易であった人が考えられようか。それだから、彼に起こったことを悲しむのは、友人のすることというより、むしろ焼き餅やきのすることではないかと思う。他方もし、魂の死と肉体の死は同じもので、後には何の感覚も残らない、というのがより真実に近いのなら、死には何の善きこともないのと同様、何ら悪しきことがないのも確かだ。なぜなら、感覚がなくなれば、そもそも生まれなかったのと同じことになるわけだから。しかし実際は、彼が生まれたことを嬉しく思うわれわれがいるし、この国も存在する限り喜びとするであろう」(p.20)
「彼が生まれたことを嬉しく思うわれわれ」の存在が、「肉体の死」のあとに消滅せずに「飛び去る」「魂」があること、つまり「死」と「無」は違う、ということを明かす。なにか大事なことが書かれている気がする。
夜にまた友人と長電話。