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彼が生まれたことを嬉しく思うわれわれ 2021/04/19


晴れ。店番。帰って友人と電話。翻訳。

黄昏どきに帰っていると、葉や花や壁や道にさした光が綺麗だった。

 

ずっと前から友人が読んでいて「いい」と言っていたアラン『幸福論』を拾い読みする。

それから店の本棚の隣にあったキケロー『友情について』も。どちらも青い岩波文庫。

 

『友情について』に、おおっと思った箇所があった。

 

「秀れた人であればあるほど、死んだ時その魂は容易に、肉体といういわば獄(ひとや)の縛めから飛び去るものであるのなら、神々の許に至る道がスキーピオーほど容易であった人が考えられようか。それだから、彼に起こったことを悲しむのは、友人のすることというより、むしろ焼き餅やきのすることではないかと思う。他方もし、魂の死と肉体の死は同じもので、後には何の感覚も残らない、というのがより真実に近いのなら、死には何の善きこともないのと同様、何ら悪しきことがないのも確かだ。なぜなら、感覚がなくなれば、そもそも生まれなかったのと同じことになるわけだから。しかし実際は、彼が生まれたことを嬉しく思うわれわれがいるし、この国も存在する限り喜びとするであろう」(p.20)

 

「彼が生まれたことを嬉しく思うわれわれ」の存在が、「肉体の死」のあとに消滅せずに「飛び去る」「魂」があること、つまり「死」と「無」は違う、ということを明かす。なにか大事なことが書かれている気がする。

 

夜にまた友人と長電話。