晴れ。歩くと汗ばむような日。
近所の猫がいつもの陸橋の下で寝ていた。
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昨日友人と話していたら、考えていることはAntony & the Johnsonsの"Epilepsy is Dancing"に戻っていった。
何度聴いてどれほどこの曲について考えさせられ、揺さぶられてきたかわからないが、初めて全部訳してみる。
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Epilepsy is Dancing by Antony & the Johnsons
川野太郎=訳
てんかんはダンスだ
彼女は出発しようとするキリスト
わたしは自分のリズムを見出す
雪の上で身を捩らせながら
すべての金属がわたしのなかで燃え
頭のなかを流れるわたしの河を下る
その炎は探している
家へと続く水路を
わたしは声をあげる「眩い輝きこそ愛!」
わたしの目は内側に釘づけになっている
そこでは緑の宝石たちが
クリスマスの星のように
黄金の静脈から下げられてる
やがてわたしは叫ぶ
夢見ているわたしを支えて
指は丸く曲がっているから
息ができないから
そしてわたしはキッチンで泣いた
あなたの亡霊が魔法をかけたとき
青い線がこの両目のあいだに焼きついたから
わたしを四分儀で刻んで
隅っこに放っておいて
いま過ぎ去ろうとしている
いまわたしは踊っている
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「わたしは自分のリズムを見出す/雪の上で身を捩らせながら」という一節について尋ねられたときの、ソングライター、アントニー・へガティのコメント。
「ふと思いついたのです。わたしたちはみな雪の上で身を捩らせていて、自分たちは何者なのか、そしてどうすれば環境とバランスをとり、調和することができるのかを知ろうとしているのだ、と。身体を完全にコントロールできなくなる発作があって、振り返ったときに、その発作の振付(コレオグラフィー)を知る。この曲をワルツにしたのはそういう理由からです。そこには形式があります。局所の視点から見たときにはまったく意味をなさない、しかし数歩下がって見たときにパターンがあるのに気づく。トラウマ的な時間のなかにおいても、すべてはそうあるべくしてあるのだ、と。一見するとあまりにひどい出来事が、あなたに形を与える。壊れていくものごとに優しさがあるのです」
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もっとも深い心身の混乱に注意をそそぎ、そこにも形式があるのか、というふうに問う。
混乱を描写しようとして光・逸脱・傷・流れが入り乱れる錯乱の言葉に、
三拍子のリズム(秩序)を与える、という仕方で、その問いを示す。
生の混沌があって、芸術(形式)とはなんなのだろうか、とずっと考えている。