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生の振付について 2021/04/20


晴れ。歩くと汗ばむような日。

近所の猫がいつもの陸橋の下で寝ていた。

 

 

昨日友人と話していたら、考えていることはAntony & the Johnsonsの"Epilepsy is Dancing"に戻っていった。

何度聴いてどれほどこの曲について考えさせられ、揺さぶられてきたかわからないが、初めて全部訳してみる。

 

 

Epilepsy is Dancing by Antony & the Johnsons

川野太郎=訳

 

てんかんはダンスだ

彼女は出発しようとするキリスト

わたしは自分のリズムを見出す

雪の上で身を捩らせながら

 

すべての金属がわたしのなかで燃え

頭のなかを流れるわたしの河を下る

その炎は探している

家へと続く水路を

 

わたしは声をあげる「眩い輝きこそ愛!」

わたしの目は内側に釘づけになっている

そこでは緑の宝石たちが

クリスマスの星のように

黄金の静脈から下げられてる

 

やがてわたしは叫ぶ

夢見ているわたしを支えて

指は丸く曲がっているから

息ができないから

 

そしてわたしはキッチンで泣いた

あなたの亡霊が魔法をかけたとき

青い線がこの両目のあいだに焼きついたから

 

わたしを四分儀で刻んで

隅っこに放っておいて

いま過ぎ去ろうとしている

いまわたしは踊っている

 

 

「わたしは自分のリズムを見出す/雪の上で身を捩らせながら」という一節について尋ねられたときの、ソングライター、アントニー・へガティのコメント

 

「ふと思いついたのです。わたしたちはみな雪の上で身を捩らせていて、自分たちは何者なのか、そしてどうすれば環境とバランスをとり、調和することができるのかを知ろうとしているのだ、と。身体を完全にコントロールできなくなる発作があって、振り返ったときに、その発作の振付(コレオグラフィー)を知る。この曲をワルツにしたのはそういう理由からです。そこには形式があります。局所の視点から見たときにはまったく意味をなさない、しかし数歩下がって見たときにパターンがあるのに気づく。トラウマ的な時間のなかにおいても、すべてはそうあるべくしてあるのだ、と。一見するとあまりにひどい出来事が、あなたに形を与える。壊れていくものごとに優しさがあるのです」

 

 

もっとも深い心身の混乱に注意をそそぎ、そこにも形式があるのか、というふうに問う。

混乱を描写しようとして光・逸脱・傷・流れが入り乱れる錯乱の言葉に、

三拍子のリズム(秩序)を与える、という仕方で、その問いを示す。

 

生の混沌があって、芸術(形式)とはなんなのだろうか、とずっと考えている。