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真殿琴子川野太郎 一通目 2021/10/08


川野太郎さま

 

だんだん涼しくなってきました。

 

最近の発見は、わたしは変化に敏感なのに、変わらないことにはあまり想いを馳せないということです。もう秋?とは思うけど、毎年変わらず四季があることには特別何も驚かない、そういう感じ。変化に驚くことはあっても、変わらないこと・普遍的なことに驚くことがあるかなあと改めて考えたりしています。

 

川野さんの一通目のお手紙、興味深く読ませてもらいました。目に見えてる世界の不思議、そこに生きている人間の運命と死んだ後の物語。来世の友は現世の敵、ってなんだか切ないですね。この世界におけるあらゆるものとの関係性が死んだ後どうなるのか、わたしも興味があります。怒りとか憎しみの感情の行方も。

 

川野さんの一通目の冒頭にある「わからないし、すごい」で思い出した話があります。だいぶ前に、留学先のトルコで熱心なムスリムの夫婦に出会い、「コトコ、なぜこの世界があるのか分かる?あなたの爪を見てみて、その爪が指の絶妙な位置にあること。その不思議さ。あなたには説明できる?」と問われました。考えてみれば、爪が“ここに”あることってわからないし、すごいし、めちゃくちゃ不思議ですよね…。結局その時は、この世界が「ある」こと(爪が指のちょうどいい位置にあることも含めて)は、神様のおかげなんだと教えられました。でも、その創造の動機はよくわからないですよね。

 

最近、「神秘」という言葉についてヴィトゲンシュタインという哲学者が次のように言っていることを知りました。

 

ーー神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである。(ヴィトゲンシュタイン/ 野矢茂樹訳『論理哲学論考』岩波書店、2003年、147頁。原文は太字部分が傍点)

 

わたしはここ数年はずっと「スーフィー」と呼ばれている人たちの研究をしてきました。その人たちの思想や信条を「スーフィズム」とまとめたりするのですが、スーフィズムは一般的に「イスラーム神秘主義」と翻訳されてきました。そういう人たちのことを研究してきたにも関わらず、「神秘」をよくよく定義することなくやってきたわたしはこの言葉を最近教えてもらい、一気に目が覚めたような感じでハッとしました。「神との合一化を目指す」っていう一般的な定義よりも、もっとシンプルでひらかれた意味が「神秘主義」にはあるのかもしれないと知らされたのでした *。世界があるというそのこと自体が神秘なら、その神秘をなんとか言葉にしようとする人はみんな神秘主義者なのかもしれません。そして、何かを見つめていて「わからないし、すごい」と感覚するのは神秘体験と呼べるかもしれないですよね。「わからないし、すごい」の奇妙さを感覚として自分の中に見出して、それを言葉にして記述していったらいつの間にかすごい哲学書が完成してるかも、ですね。

 

そういうことをだらだら考えている秋の夜長でした。「ききみょうみょう」というなんとなく決まったタイトルではじまったこの往復書簡の行方も一体どうなるんでしょうね!夢のような不思議な展開を期待しています。

 

* ヴィトゲンシュタインの「神秘」の定義から神秘体験の意味の可能性については、斎藤慶典『「東洋」哲学の根本問題あるいは井筒俊彦』(講談社、2018年)から示唆を得ました。