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March 2023



三月:水原涼


2023/3/2|夕方、長篇の初稿を書き上げる。四百四十枚。執筆の約束をしたのはもう三年も前だ。

 

2023/3/3|初稿完成翌日の中休み。事務作業をして、メールをいくつか。坂の多い道を散歩して、足がパンパンになった。

 

2023/3/5|はやみねかおる『ギヤマン壺の謎』を二十年ぶりに再読。ほとんど時代考証というのをせず、「カタカナをあまり使わないようにしよう。」くらいの方針で書かれたそうで、小説っていうのはそのくらいおおらかでもええんですよね。

 

2023/3/10|長篇を送稿、次の小説へ。ここ半年で長篇を三つ書いた、ので、そろそろ中短篇を書くサイクルに入る。五十個ほど案を出して、年内に十五作くらい書ければいい。メモ用紙の束を見返したり、本棚の前で唸ったり。

 

2023/3/11|アニー・エルノー『ある女』を読。「今、私には思える。母について書くことで、今度は自分が母をこの世に産み落とそうとしているのではないかと。」という言葉が印象に残る。これは私が書いた「鳥たち(ルビ:birds)」、というか、「鳥たち」で参照したマラルメの『アナトールの墓のために』と似た企図だ。

 

2023/3/13|数日かけてようやく五十案。いくつか選び出してふくらませていると、大江健三郎の訃報。私の「鳥たち」は、『新しい人よ眼ざめよ』を読んだことがきっかけの一つとなって起筆されたのだった。三月三日没、享年八十八。報道によると午前三時すぎだったというから、前日に長篇を書き上げたばかりだった私はぐっすり寝ていたころだ。

 

2023/3/14|解説を頼まれている小説の原稿を読。大江の死にまつわる記事も、いくつか。本棚から大江の本を何冊か取り出して、ぱらぱらめくる。

 

2023/3/20|隣家が外装工事をはじめるらしく、足場と囲いをカンコン組み立てる音がにぎやか。なんとなく机に積みっぱなしにしてた大江のなかから、『小説のたくらみ、知の楽しみ』を取り上げる。「小説は人間について根本的に、かつ綜合的、具体的に、つねに一からはじめるような新しい心で、把握しようとする営為です。」

 大江は、オーウェルを読むうえでのキーワードであるdecent / decencyという単語から、ヴォネガットが元同僚の妻の弔辞に書きこんだdecencyを拾い上げ、白血病で死んだ旧友Hのことを思い出す。ひとつの単語に拘泥しながらかろやかに飛躍すること。

 彼のエッセイはつねにすぐれた読書論でもある。読むこと、ひたすらに/ひたむきに読むことで、思想は厚みを増していく。

 

2023/3/23|十四時から、オンラインでカウンセリング。自分の言葉選びの癖を指摘されてハッとした。

 大江は、旧知の日本文学研究者が癌にかかった、という噂を聞かされ、のちに別の知人たちから、それは彼本人が友人をからかうために流したデマだ、と聞いた。それで大江は、友人の容態を案じた数週間の息苦しさを、彼をからかい返すような思いで「「雨の木」の首吊り男」として作品化した。しかし小説の発表後しばらくして、彼の──大江が小説中でカルロスという名を与え、本書でもその名で呼ぶ彼の訃報が届いた。

 

 瀕死の病床でカルロスが、当の小説を読んでしまっていたら、という恐しい疑いは、(…)もう日本からの新着の雑誌・単行本を読めるような状態ではなかった、というカルロスのもと【注:「もと」に傍点】同僚の証言で、僕としてその思いをねじふせるようにすることができています。しかし僕はいま、病床にある外国の古い友達にむけて、自分の小説が犯罪的な一撃を果たすことがありえた、という可能性への、ある憤りから自由になることはできぬのです。

 

 私は「日暮れの声」で、祖母をモデルにした人物の死を書いた。起筆時点ですでに人の手を借りなければ寝返りも打てなかった彼女が読むことはない、とわかってはいたにせよ、私はそこに(のちに確定される彼女の忌日より何年も先の日付だったとはいえ)祖母の死を書いたことで、彼女のもとにその時を引き寄せてしまったのではないか、という罪悪感を抱き、それとひきかえに、進学後はろくに帰省もせず、老い衰え死んでいく彼女から距離を置いていたというもう一つの罪悪感が軽くなるのを感じたのだった。

 そう思い出して「日暮れの声」の記述から計算しなおすと、主人公の死は二〇二三年の八月末だ。私は今から五ヶ月後の、実際には何でもない一日になるだろう架空の祖母の命日を、それでも粛然とした気持ちで過ごすような気がしている。

 

2023/3/27|ようやく解説を書き上げる。二週間もかかっちまったな。

 大江はウィリアム・ブレイクの詩「知の旅人(ルビ:メンタル・トラヴラー)」を呼び込んで、「「罪のゆるし」のあお草」を書いた。しかし〈この詩について確信をいだいたという思い〉は最後までもてず、そのこと自体をも、〈将来の仕事への架け橋として〉書き込んだのだという。「はじめは知の楽しみ【注:「知の楽しみ」に傍点】として始った読書から、次の小説への生みの苦しみに移行している自分を、いま僕は見出しています。そしてそのような時期こそが、もっとも生きいきと精神および情動が活性化している時だともいわねばなりません。」

 小説家は読むことで書く。しかし受け取ったものをすべて書ききることはできない。その蹉跌をてこにして次の小説へと向かっていく。

 初読時にも感銘を受け、書いて生きていく意欲を刺激された大学三年以来の再読だった。それが十年あまり経ち、著者の訃報を受けて開いた今回も、私の〈精神および情動〉を活性化してくれた、というのは、ナイーヴにすぎる受け止めだろうか。ともあれ、毎日何章かずつ読んでいた本書を閉じて、私は次の小説へ向かう。

 

2023/3/31|本を読んだら必ず文庫サイズのノートの一ページを文字で埋めることにしていて、『小説のたくらみ』についても、文庫に挟んだメモ(私は本に書き込みをしない派)を見返しながら書いた。

 そういえば、こないだ読んだ佐藤友美『書く仕事がしたい』のなかに、こんな一節があった。「毎日毎日書いていると、自分が浮き沈みしているように見えるのだけれど、その様子をロングショットで見たら、後退していることは、まずない。昇る日も、落ちる日も、だいたいのぼっている。書くことを辞めないのが、一番大事です。」ほんとうにそうだ。私が大江ほど偉大な小説家になるかどうかはわからないが、とにかく書くことを辞めないのが一番大事。

 


水原涼

小説家。



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